今日は三島由紀夫先生の50回忌です | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

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 三島由紀夫先生による衝撃の諫死より数へて満50年を迎へる今日、東京の「憂国忌」や「野分祭」をはじめ、全国各地で有志による慰霊の行事が行はれると聞き及んでをります。

 

 私どもも一昨日23日(月・祝)は有志に呼びかけ、加古川市志方「玉の緒地蔵尊」に建つ慰霊碑の清掃奉仕を行なつて参りました。

 

 車で大阪方面から現地に向かふには、阪神高速道路から加古川バイパスを通り加古川西ランプで降りる行き方と、山陽自動車道から三木を経由して加古川北出口で降りる二通りがございます。

 この日、娘を連れて私は初めて山陽道から向かひましたが、方向音痴のせいで道が分からなくなり、農作業中の方に二度も道を訪ねつつ、結果ほうほうの体で正午に到着することができました。とりわけ二人目の農夫の方に「玉の緒地蔵尊」は何処かと訪ねますと、運良く「地蔵尊はわしが関はつとる。三島由紀夫はんの命日が近いから、下の方で車停めて歩いて行かぬと、現地へは入れんのとちがふか」と言ひつつ、詳しい行き方を教ゑて下さいました。この場をお借りして厚くお礼申し上げます。

 

 さて慰霊碑付近は、既に前日から姫路の道友の方々が清掃を済まされてをり、また地元の自治会や乗馬クラブのオーナーの方々が国旗を掲揚、清酒やビールもお供へされてをりました。三島先生の本籍地であることを誇りにされてゐることがよく分かります。

 

 この日の参加者は13名。私どもは慰霊碑前に集合し、三島先生の詩「英霊の声」を高らかに朗読しました。

 「英霊の声」は、終戦後、物質文明ばかりが発達する余り、人の精神が蔑ろにされてゆくありさまを、特攻隊や二・二六事件の英霊が嘆かれる、痛ましくも悲愴な内容です。朗詠するほどに私どもの脳裏には、市ヶ谷台上にて最期の演説を奮はれる50年前の三島先生と森田必勝青年の姿が甦ります。

 

 事件当時中学生だつた私も今年で64歳となりました。三島先生が予言された「無機質な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目のない」といふ、恐ろしいまでに的を射た日本の現状に慄然とすると同時に、50年前には考へられなかつた内外の難題を抱える我が国の前途を憂へずには居られません。

 朗読が終はると、参加者それぞれが準備した弁当を囲み直会を行ひました。11月下旬といふのに暑いほどの日差しの中、赤や黄に色づいた山々を眺めつつ噛み締める米飯は、苦い思ひとは裏腹に、ひとしお美味でございました。

 

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