一家で「ファミリーストーカー」に狙はれた話〈その2〉 | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

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団塊世代よりも年下で、
でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります

 私が小学3年生になつた頃、ごく近所にN家の人が引つ越して参りました。

 父母と男児が2人、加へてお祖母さんの5人家族。母親が近所の小学校教師で、兄弟は上(達也君)が私の兄と同ひ年、下(久雄君)が私の1歳下でしたゆへ、ほぼ似通つた構成と言へます。

 

 当時、真偽の程は判じかねますが、私どもの住まひする尼崎は教育水準が低いといふ定評がありました。そこで我が家を含め近所の子らが大勢、神戸市内の公立小学校へ通ふことが流行つたのです。当時も今も、公立小中学校は校区へ通ふことが鉄則です。

 ところが邪の道は蛇。「戸籍を貸しても構ひません」といふ家を探し出して、その家に児童の住民票を移し、表面上その家の子として、その校区の小学校へ通はせるのです。これを越境入学と言ひます。無論、実際に住む訳ではありません。戸籍を貸してくれる家庭には、それ相応の報酬が支払はれます。世の中、需要が有れば供給が付いて参りますゆへ、仲介人も出現して参ります。

 

 いち早くその話を聞きつけた母は、その仲介人(米屋さんでした)を探し出して、まず兄を神戸市東灘区の優秀小学校へ通はせます。2年後、私も同じ方法で同校へ入学しました。面白いことに、同級生の中にも3名ほど、同じ方法で市外から通ふ子がおりましたゆへ、当時は相当数の「掟破り」が存在してゐたことが察せられます。

 

 因みに話は変はりますが、この掟破りの仲間の一人に、後世名を轟かせる中島らもさんが居りました。これは以前このブログでお話ししましたね。氏は、同じ立花駅前に在る「中島歯科」の次男坊で、兄の1年先輩でございました。

 さてくだんのN家の母親は、自身が教師でもあり教育熱心だつたのでせう、やはりトリトン家の母と同じ野心を抱いてをりました。まず、渋る母に仲介人を紹介させ、これまで通はせてゐた尼崎市の小学校を辞めさせて、私ども兄弟と同じ小学校へ転校させたのです。

 更に執念深いN家の母親は、それほど仲の良くなかつたN家の長男達也君と我が兄を「親友」として付き合ふやう工作を始めたのです。国鉄立花駅から必ず同じ電車に乗車させて、摂津本山駅で降車、小学校へ登校する道も当然同じです。学級が異なるので帰り時刻は違ふ筈なのに、何と達也君は校門で兄を待つてゐるのです。恐ろしいファミリーストーカーの始まりです。

 

 ところが豈測らんや、兄と達也君とでは所詮頭の構造が違ひました。全学科オール5、ぱつちりと黒目が大きく、肌は体育焼けで浅黒く、女子に大人気の兄に、達也君が敵ふはずがございません。

 母親Nは歯噛みして悔しがりましたが、トリトン家の者に向ける顔はいつも笑顔を装つてをりました。そして一計を案じた彼女は、次の手を打つてくるのです。(次回に続く)

 

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