地球の裏側の友人(アミーゴ)たち〈6〉 | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

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団塊世代よりも年下で、
でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります

 

 不思議な偶然があるものです。

 

 前回話の最後に、ジーナが十数年ぶりに私の仕事場へ電話をかけてきてくれた事に触れました。拙ブログでジーナの話題を取り上げたのと、電話をもらつたのとは、全く予期せぬ偶然の一致でございます。共時性(シンクロニシティ)のいふものがあるとすれば、まさにこの事を言ふのでありませう。

 

 まさしく地球の裏側から電話をしてくるのです。恐らく、ただのご機嫌うかがひではあるまいと案じをりましたが、先週土曜日になつて案の定、スカイプで或る依頼が参りました。娘と2人で日本へ旅行に行きたいので、ビザ入手のために私から日本への案内状等を作成して欲しいといふのです。

 

 実はあれからよくよく考へますれば、私の記憶の抽斗(引き出し)から忘れてゐた記憶が出るわでるわ…。

 

 20年も前の或る日の昼下がり、フリオの彼女マリアの家で、前回初めて登場致しましたカルメンと共に、三人で昼食を摂つてゐた日のことです。

 マリアは大層料理が得意でした。此の日は「ロクロ」といふボリビア料理を作つたので、共に食しに来ないかといふお誘ひで訪ねました。ロクロといふのは、米入りのスープで、時節に応じて鶏だつたり牛の干し肉で出汁をとり、玉葱や塩やコンディメンタ(胡椒)で味をつけた家庭料理です。

 3人が満腹になつた頃、一人の日本人男性(30歳くらひ)が訪ねて参りました。

 

 彼の話によると、以下のやうな次第でした。

 自分はジーナと交際してゐる。先日ボリビアへ帰省したジーナから、赤ん坊の写真入り手紙が送られてきたが、スペイン語で「私と貴方の子よ」と書いてあるらしい。自分は父親に結婚を反対されてゐるが、一度ボリビアへ訪ねてジーナと話がしたい…とのこと。そこで、ジーナが日本で一番の友達と言つてゐたマリアに会いに来たといふ訳です。

 

(イメージ写真)

 

 写真には産まれたての赤ちやんとジーナが写つてをりました。マリアは「お父さんに似てるわねー」と、本気とも冗談ともつかぬ口調で応対致しをりました。マリアとカルメン、それに私の3人が表情を隠して目を見合はせてをるうちに、男性は帰つてゆきました。

 実は私たちは、この1年近くの間、ジーナが近くのアパートでブラジル人男性と同棲してゐたのを知つてをつたのです。この話には直感で、私は関はらぬ方がよいと思ひました。

 

 有り体に申しまして、彼ら彼女らは日系人の立場を利して「出稼ぎ」の為に来日してゐるやうなものです。これは良し悪しの問題ではなく、水が高い方から低い方へ流れる道理と同じでございます。ボリビア人の彼女にしてみれば、我が子の父親はブラジル人よりも日本人の方が何かと都合が宜しいと考へるのは人情でございます。

 

 その後、日本人男性がボリビアへ訪ねたかだうかは存じません。

 ただ今になつて、ボリビアからはるばる母娘が来日を希望してゐるといふ事態が、単に想ひ出の日本で時を過ごしたいといふ理由なのであれば、私も手助け致すにやぶさかではございません。

 はたまた20年前の私の懸念と関係があるのや否や…。

 私の拙いスペイン語では、この微妙な話題をジーナ相手に表現する力は無く、いささか胸騒ぎを覚ゑる今日此の頃でございます。

 

 追伸:プライバシーを考慮しました結果、前回掲載のジーナの写真は削除致しました。なお登場人物の敬称は省略いたします。

 

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