前回は、阪神淡路大震災の日に、ボリビアのプロサッカー選手を、事もあらうに尼崎の場末の公園で見つけたお話をさせて頂きました。
実を申しますと彼(以下、フリオ君と呼びます)現役ではなく「元選手」だつたのですが、それにしても何故?と思はれたことでせう。フリオ君はプロとなつてまだこれから活躍するといふ時期に、不幸にも交通事故に遇ふのです。それは大きな事故だつたさうで、地元紙の一面に彼の写真がデカデカと掲載されたのです。
大手術を繰り返し、九死に一生を得た彼が失意のどん底に落ち込んだことは言ふまでもありません。若干22歳の彼が、このままボリビアのサンタクルスで周囲の憐れみの視線を浴びながら生きてゆくのは残酷過ぎます。
其処で彼が選んだ道は、日本人の祖父「竹尾」氏の孫であることを足掛かりにビザを取得し、未知の国日本へ渡ることでした。丁度、日本の中古車を売買する知人(日本人K氏)を保証人とし、不安と期待を胸に、バブル絶頂期の日本を訪れます。
就労ビザを持たないため本来は働くことは出来ないのですが、生活費が必要です。フリオ君は持ち前の明るさと真面目さで、アルバイト先では何処でも人気者となります。スポーツマンの彼には、直ぐに日本人の彼女も出来ました。その国の言葉を身につけるのは、恋人を作るのが最も手つ取り早いといふのが常識です。彼女の父親の猛反対のため、たつた1年で別れてしまふのですが、その頃にはフリオ君は周囲の南米人の誰よりも日本語が上手になつてをりました。
(左側フリオ君、隣は新しい恋人マリア)
斯様な折、平成6年頃のことかと思ひます。読売新聞社会面で大きな記事が掲載されました。日系ボリビア人数十人を、書類上一つのアパートの一室に住んでゐることにしてビザを求め入国させた人物(日本人)が、「出入国管理及び難民認定法違反」で捕まつたといふ記事でした。その日本人こそ誰あらうK氏だつたのです。フィリピーナの例が広く知られてゐるやうに、紙面から当然K氏は関連組織から仲介料を得てゐるのだらうと想像されました。
今思へば、これまでボリビアにも日系人にも何ら縁の無かつた私が、この事件の数箇月後にはその真つ只中に巻き込まれることになるのです。
本編〈1〉でお話しした伊丹の「アミーゴ」店を知るのが、恰度(ちょうど)事件発覚の少し後の頃です。何も知らずにラテン系美女にのぼせ上がり、スペイン語をかじり、南米音楽にうつつを抜かしてゐた私。そのうちに彼らと急速に接近し、フリオ君や彼の新しい恋人とも親しくなりました。その頃に並行して起きてゐたのがK氏の事件でした。
フリオ君のビザには何の嘘偽りも無かつたのですが、K氏といふ信用度の失落した保証人をビザ発給に関はらせてゐる点だけでも、フリオ君の次回のビザに赤信号が点滅したのは言ふまでもありません。(続く)
※古い過去を思ひ出しつつ記述致しをりますゆへ、何かと時系
列が前後致します。読み辛いでせうがご容赦下さいませ。