私は大学卒後、神戸市に在るH社といふ大手菓子メーカーに就職し、神戸そごう百貨店に三年派遣された事は申し上げました。
その後、持ち前の飽きつぽい性格と、何か手に職をつけたいといふ今更ながらの思ひから、「写真植字」の速成学校に三ヶ月通ひました。その駆け出しの技術を売り込み材料として、学生時代より誘ひのかかつてをりました神戸市(葺合区)に在る印刷会社へ就職致します。40年ほど昔のことです。
この会社は華僑(台湾)系で、社員4、5人のうち2人がカメラマン。あと2人と私の3人で製版を担当するといふ小さな会社ではありましたが、私の母校甲南大学の印刷物を受注したり、華僑系列の企業との取引が多くあり、当時は零細ながら優秀な業績を収めてをりました。
大きな収入源のひとつに、船場道修町(どしょうまち)に本社を置く大手製薬会社S社のプロパーが持ち込む学術用スライドをスピード製作する仕事がありました。
神戸大学医学部や兵庫医大において、数多ある研究室が内外の学術発表会に用ひる難病症例を、手術経過や予後等を紹介するため、絵や文章を用ひて、ストーリー仕立てのスライド上映を催します。
S社のプロパーはその「絵や文章」を研究室から預かつて、我が社に持ち込みます。当時はまだワープロが発売されてをらず、文字は「写真植字」を用ひてをりました。私の受け持つ仕事は、S社が持ち込む、お医者様たちの書かれた症例紹介文を植字することでした。あと2人の同僚が手術手技の絵をトレースします。当時は極めて需要が多く、医療学会が近づくと毎日終電で帰宅する日々が続きました。
その中のひとつに、今も忘れられぬ一症例があります。
患者さんは小学生低学年の男の子。近所の公園でブランコに乗つてゐたのです。ブランコ遊びのひとつに、勢ひをつけて前方へ飛び降りてその距離を競ふといふ、男児ならば一度は経験する少し危険な遊びがありますね。
男の子もその遊びに興じていたのですが、恰度飛び降りた場所に箒(ほうき)が立てて置いてあつたらしく、その箒の柄がお尻に刺さつたのです。
何故か箒は固定してあつたやうで、その子は自分の全体重プラス落下の勢ひを加へて、自分の肛門の部分から箒の柄に自然落下する形になりました。
箒の柄は、肛門から入り、大腸を突き破つて、臍(へそ)の近くにまで達してをりました。私の隣で手術手技の絵をトレースしてゐた同僚は「気分が悪くなつた」と呻きつつ、男児の体に箒が突き刺さつた断面図を描いてをりました。
手術をされた医師のコメントに「腹腔内に入つた箒の柄の先端に、ズボンの布が付着してゐた」といふ部分があり、文字を並べてゐる私まで腹痛を起こしさうになりました。
誠に気の毒な、むごい出来事です。一緒に遊んでゐた子どもたち、騒ぎを聞きつけてきたお母様がた、救急救命士の方々も、駆け付けたところで一体何が起きたのか、だうすれば良いのか… 全く見当もつかなかつたのではないでせうか。
夏休みも残り僅か10日を余すのみ。何を仕出かすか判断がつかない子どもたちの行動には、皆さま是非ともご留意下さいますやう、お願ひ申し上げます。