お稽古ごとーー絵画編〈2〉 | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

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団塊世代よりも年下で、
でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります

 

 前回〈1〉では、私が小学生時代に通ひました絵画教室における「椿事」のお話を申し上げました。

 

 特に絵心があつた訳ではありませんが、絵画教室は子どもなりに充実した時間であつたと存じます。かつて何度か申し上げたやうに、兄も私も神戸市東灘区の小学校へ越境で通つてをりましたため、結局地元には殆ど幼なじみが居りません。それを思ひ知らされるのは「成人式」の時です。

 地元の尼崎市役所から成人式の案内が届きますが、式典会場に行つても知つた顔が全然居ない… 会場は、いと楽しげに過ごす同年の若者で一杯なのに、自分だけは退屈な講演会を聴いて、記念品を貰つてただ帰宅しますと、寂しくは無いけれど深い疎外感を覚ゑることになります。

 

 さて、この絵画教室でも周囲は知らない子どもばかりです。その中に、大柄な、ジャイアンみたひな餓鬼大将が居りました。私の顔を覗き込むと「こんな奴、知らんわ」てな感じで、日を追ふごとにその態度は横柄となり、いぢめ迄はゆかぬまでもイケズをされるやうになりました。

 クレパスを隠されたり、画板に落書きをされたり… 初めの頃は私も無視を決め込んでをりましたが、周囲の子ども等を巻き込み始めてからは、さうのんびりもして居れなくなりました。

 

 或る日、私の帰り間際に遅く教室にやつてきたジャイアンの運動靴を確認した私は、その靴をひつつかんで、教室向かひにあつた前述の空き地の「のつぼ」*(文末参照)の中に投げ入れたのです。当日のジャイアンがどうやつて帰宅したか分かりませんが、彼の怒る顔を想像してほくそ笑むだけで、私はそのまま忘れてをりました。

 

 次の週、先生の奥さんが前に立つて「今日は、みんなにお話があります」と厳しい顔でおつしやいました。次に、児童(ジャイアン)の母親が交替し「先週、うちの子の靴が無くなりました。それが空き地に捨ててありました。この中に、そんな悪いことをする子が居るんやね!」と、怒りを抑ゑかねてゐる様子です。

 私は後ろめたさから、下を向いて絵画を続けてをりました。が、ふと顔を上げると、そこに立つて話してゐるのはあの「立ち小便」のおばさんだつたのです。私は思はず「あ゛っ」と叫んでしまひ、周囲の子どもらをびつくりさせましたが、大事には至りませんでした。

 私は内心「あの親在つて、このガキ在りやなぁ」と思ひ、つひでに「おばさん、草むらにせんと直接のつぼにやつたら良かつたのに」と思ひながら、その日は絵を続けてをりました。

 

 

 ジャイアン自身は、初めから犯人がどうやら私だと勘付いてゐたやうでした。

 結局、教室ではこのお咎めは持ち越されることも無かつたのですが、今後のジャイアン等の動きを考へると、やはり、私はこの絵画教室に行き辛くなり、結局その月を最後に辞めてしまふことになりました。嫌ひではなかつた絵画教室、今となつては残念なことです。

 

 毎年芸術の秋が訪れては、その時の事を思ひ出すと、靴を隠した罪悪感と同時に、おばさんの恐い顔、大きなお尻などが綯い交ぜになつて、今なほ、私の心をかき乱すのでございます。

 

 *「のつぼ」に関する詳細な情報に関しましては、本ブログの2016年10月5日記事をご覧下さい。

  https://ameblo.jp/zigzagsha/entry-12206704019.html

 

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