蔵の在る家〈6〉ーー花登筐氏が来店 | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

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団塊世代よりも年下で、
でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります

 

 今でこそ吉本新喜劇と言へば、日本のお笑ひのメッカとして自他共に認められるところであります。

 私がこの世に生を享けました昭和30年代は、テレビの草創期であり、上方喜劇ブームが芽吹いた頃と言つて差し支ゑございますまい。この時期に飛ぶ鳥落とす勢ひにあつたスター脚本家と言へば、花登筐(はなと・こばこ)氏(写真上/1928~1983)が筆頭として挙げられるのではないでせうか。

 

 私が幼い頃「番頭はんと丁稚どん」といふ、大村崑さん主演の舞台をテレビ放映した番組が毎週大人気でした。頭の横に丸い十円ハゲをつけて、眼鏡を下げ気味にかけた「こん松」(写真下)は日本国民のアイドルでありましたが、この劇団を起こしたのが花登筐氏でした。

 

 

 さて、その花登氏は滋賀県大津市出身で、近江商人の子として生まれました。ところが終戦直後の時期に、二十歳前後の若き花登氏は商人の道ではなく演劇の道を歩むことになります。同志社大学卒業後、ラジオドラマの脚本家を経て、多くの劇団を主宰しては解散を繰り返します。

 

 どうやら此の頃に、氏は尼崎に居住されてゐたのか、はたまた遊びに来られたのか… 我が父の店へ衣類を持つてお金を借りに来られたのです。既に台帳を処分したため、今となつては詳しい日時は判りませんが、おおよそ昭和36、37年の頃かと思はれます。

 

 「大将、わて小説や脚本書いてますねん。珍しい名前やけど『はなと・こばこ』言います。読んだっておくんなはれな~」

 「へー、ほないっぺん読ましてもらふわなー」

 質札にも台帳にも「花登善之助」(筐は筆名)の名が書かれてありました。

 

 その日から時が流れること十年余、新珠美千代さん主演で大ヒット長寿番組となつた「細うで繁盛記」(続・新含め1970~74)、西郷輝彦さん主演「どてらい男」(1973~77)、後年花登夫人となる星由里子さんが主演をつとめた「ぬかるみの女」(続含め1980~81)など、大阪船場や堂島を皮切りに、旅館、営業、水商売などを舞台にした商魂もので一世を風靡したことは、私どもの世代なら誰一人知らざる者は居りません。

 

 残念乍ら、花登氏が来店されたのはこの一度きりで、父との再会は成りませんでしたが、花登氏一流の下町の人情や生き様を描く為の一助にさせて頂けたのであれば、少し大袈裟ではありますが、父も質屋冥利に尽きるといふものでせう。

 

 花登氏は55歳で早逝されますが、大津市では「花登筐文芸奨励賞」と銘打つて中学・高校生の作文、シナリオ制作の普及発展に力を注いでゐるさうです。此の場を借りて、花登筐氏のご冥福をお祈り申し上げます。

 

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