蔵の在る家〈5〉ーー怒る客、泣く客 | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

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団塊世代よりも年下で、
でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります

 

 質屋を訪れるお客様は、時代と共に替はつて参ります。

 前にも話しましたが、昭和30年代ならば、生活費を捻出するために来られる方が圧倒的に多かつたと思ひます。質屋で金を借りるにも「対人交渉」といふものがまだまだ生きてをりました。落語のネタとして登場する質屋も、だいたい此の時代までの話が最も生き生きとして面白いことは論を俟ちません。

 いま斯うして想ひ出してをりますと、文明史としても、また情緒的にも、この頃までが「質屋」の真骨頂だつたのではないでせうか。

 

 さて、お盆ですので、今日は想ひ出すままに、お客様の人間像をランダムに話させて頂きませう。

 

泣く客

 意味が全く解らないくらひの方言で話すお客でした。話はどうやら、斯様なことのやうです。田舎から知人を頼つて出て来たが怪我をして仕事を失ひ、金も無くなつた。電車賃も無い。郷里へ帰り着いたら利子をつけて送金するので3,000円貸して欲しい…と泣きながら語るのです。それはそれは汚いボロを着ており、哀愁を極めた佇まひですので、隣室で聞いてゐた母が「お父ちやん、もう利子なんかええからお金あげーな」と泣きさうな顔で口を出すのでしたが、父は毅然と「あいつは質屋に擦れとる」のひと言で断つてをりました。当時(6歳くらひ)は私も「冷たい父や」と思ひましたが、今ではよく判ります。

 

 

怒る客

 もうひとつ思ひ出すのは、恐ろしく気の短いオヤジでした。利子を3箇月滞納すると、その質草は「流れ」るのですが、そのオヤジ「流すくらひやつたら、初めから利子なんか入れへんやろ!」と怒鳴り、カウンターを蹴飛ばして大破させたことがありました。後日、忘れたやうな顔で小型テレビを持つて訪ねて来ましたが、父が「これは型が古くて貸せない」と断ると、そのテレビを玄関先に叩き付けて壊し、そのまま帰つてしまひました。別の日たまたま町で見たそのオヤジ、ニコニコと愛想が良いので、子供心に大変戸惑つた覚ゑがございます。瞬間湯沸器の人だつたのですね。

 

 

 この頃はまだ町中に「電話屋さん」といふ商売があり、固定電話の権利を売買する業種でした。質屋の中にも電話の権利を担保に金を貸す店がありました。借りたお金を返さない場合「電電公社」(現在のNTT)で電話を止めることが出来たのです。肩から掛けるやうな「携帯電話」が発売される少し前の時代です。

 

 民間金融機関として、サラリーマン金融が登場しますと、状況は一変致します。扱ふ担保が権利書や土地家屋などになりますと、当然金額も一気に高くなるわけで、「質屋」ではとても太刀打ちできません。父の同業の知人にも、いち早く町の金融屋に切り替える人が出て参りました。店を訪ねてきたそのうちの一人が「もう質屋なんか阿呆らしうてやつてられへん」と自慢顔で話してをられ、父が思案顔だつたのを想ひ出します。

 

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