今日も映画の話で始まりますが、これは私が中学生の時、神戸の阪急文化劇場といふ名画館で、兄に連れられて鑑賞した作品です。
オードリー・ヘプバーンとゲイリー・クーパーが主演の、何となくコミカルで、且つロマンチックな映画でした。題名は「昼下りの情事」です。
「情事」…今時なかなか耳にしない言ひ回しですが、「浮気」(気が浮ついてゐる、つまり正気でない)や「不倫」(文字通り、人の道に外れてゐる)といふ身も蓋も無い言葉とは異なり、何となく「情事」とは胸にさざ波を立てる響きのある言葉ですね。
年配のプレイボーイ、フラナガン(クーパー)と私立探偵を父に持つ純情な娘アリアーヌ(ヘプバーン)の、行つたり来たり背伸びしたり…の恋の行方がテーマです。兎に角この映画はラストシーンが素晴らしいのです。
汽車の開いた扉の中と外で、別れが迫る二人。フラナガンはアリアーヌを忘れるため傷心の旅に出ようとしてゐます。
アリアーヌもフラナガンに自分を諦めさせやうと、心ならずも架空の「男性遍歴」を話し始めます。彼女を諦めるつもりでその話を聴いてゐるフラナガン。動き始めた汽車を追ひながら、涙目で嘘を並べたてる彼女のいとをしさに堪らなくなつたフラナガンは、遂にアリアーヌをひよいと持ち上げて、動き出す汽車に乗せて去つてゆくのです。
それを見送る私立探偵(彼女の父)の微笑みと、駅頭で三人の小楽団が奏でる名曲「魅惑のワルツ」が観客の心をほつとなごませる…そんなラストシーンでした。
現代は、電車のドアも窓も絶対に開かないやうになつてをりますが、昔の汽車のドアはオープン形式で、走行を始めてもまだ飛び乗ることが可能でした。
また汽車の最後尾などは実に風情がありまして、ゴトゴトと揺れるデッキにつかまつて風に当たり、後方へ流れてゆく景色を眺めるのは旅の醍醐味だつたやうな気がします。現代は鉄道会社も厳しく管理責任を問はれますので、このやうに少しでも乗客に危険が及びかねないことは御法度ですね。
戦時歌謡の「ズンドコ節」に次のやうな一節があります。
〽 汽車の窓から手を握り 送つてくれた人よりも
ホームの陰で泣いてゐた 可愛いあの娘が忘られぬ
トコ ズンドコ ズンドコ
さうです、窓から手を出して握手が出来たのですね。
若いブロ友の皆様、ご存知でせうか。本来、駅弁といふものは電車内でワゴンで売りに来るのではなく、窓から手を出して買ふものだつたのですよ(写真)。
汽車の旅では、停車駅が近づくごとに窓を空けて、襷掛けで「ベントー、ベントー」と大声を上げる弁当屋さんを、客が呼び止め、空いた窓から金を渡し弁当や茶を受け取るのです。乗客も「もうすぐ富山駅だから、マス寿司を買はう」などと語り合ひ、その駅でしか買へない弁当を買つて食するのが駅弁文化といふものだつたのです。
父が商店を営んでゐた私ども家族が、全員で旅行をした記憶は殆どありませんが、ひとつだけ覚ゑてゐる非日常的な光景があります。
何処の駅かは忘れましたけれど、駅弁の売り子がなかなか来てくれないのに業を煮やした父が汽車を降りて駆け出し、弁当を4つ買ひ求めに行つたのですが、まだ戻らぬうちに発車の号令とベルが鳴つてしまつたのです。母も兄も悲鳴を挙げてをります。すると両手に弁当を提げた父が、私どもの坐る四人席の“窓”から、動き出した車内へ間一髪、飛び込んだのでした。周囲の乗客も手に汗を握るスリリングな瞬間でした。
思へばのどかな時代だつたのですね~。今ならとび込まうにも窓が開かないですから。
映画「昼下りの情事」のロマンチックな二人などとは、とても恥ずかしくて比較できない、走り出す汽車と父の想ひ出でした。