「映画会」中学・高校篇 | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

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団塊世代よりも年下で、
でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります

 

 中学・高校でも映画会はありました。小学校時代は学校の講堂で上映してをりましたが、中学・高校時代は、午前中に一般映画館、神戸三ノ宮の新聞開館大劇場や、新開地聚楽館を借り切つて上映を依頼することが多かつたです。

 

 

 ロシアの著名な文芸作品「アンナ・カレーニナ」。アメリカ白人家庭の開明的な親が、娘が黒人の恋人を家に連れて来ることによつて狼狽する姿を描いた「招かれざる客」。ナポレオンの苦悩を描いた「ワーテルロー」、ドイツの侵攻に翻弄されるユーゴスラビアの子供を描く「抵抗の詩」などの名作。またチャップリンの「独裁者」「モダンタイムス」など、楽しいだけでなく社会や歴史に問題意識を持たせる作品を観る機会が増ゑたのを、私は嬉しく思つてをりました。

 

 私の母校は芦屋の山手にある私立の中高一貫校で、どちらかと言へば裕福な家庭の子弟が多い処でした。高校は旧制からある名門なので、戦前のエリートのイメージから大企業の創業者の方が自分の子弟を入学させる例は確かに多かつたやうです。しかし実体はさほど優秀でもありませんで、成績の良い生徒は他の大学受験を目指して本校を去つてゆくのでした。

 

 1970年代は全国で学生運動といふ左翼ゲバルトが猖獗を極めてゐた時代であり、その波は高校、中学にも押し寄せて参ります。私どもは私学なのでその影響は比較的少ないものの、そのやうな「ブルジョワ学校」にもベ平連に参加する先輩らが居りました。

 

 そして私どもに勉強を教ゑる先生たちには、60年安保世代が多数居りました。とりわけ社会科(日本史・世界史)の教師にはその思想的影響下に在る人も多く、授業内容の端々に反体制的言辞が垣間見えるのであります。さういふ先生がたが選んだのでせう、同和問題を扱つた映画「橋のない川」を観たことを覚へてをります。また公害問題を扱つた「水俣」はモノクロームの重い作品で、暗く落ち込んだことを覚へてをります。

 

 極めつけは朝日新聞社が製作した「夜明けの国」といふ中華人民共和国の記録映画でした。私はまだ右も左もわからぬ中学生でありましたが「この映画は、あかんやろ」と感じました。内容は、毛沢東を礼賛する紅衛兵が毛語録を振りかざして革命精神を煽るものでした。ただの共産主義礼賛映画ではないか…と目が点になりましたが、この映画を推奨してゐたのが、世界史を私たちに教ゑてゐるFといふ「教頭先生」だつたのが衝撃的でした。この映画を、頬を染めて褒めちぎつてゐた姿は今も目に焼き付いてをります。

 

 この映画の題名は「夜明けの国」。今になつて思へば、朝日新聞が毛沢東率いる中国を、まぶしく、羨ましい「夜明け」と視てゐたことが解ります。とんだ思ひ違ひですね。

 

 B型の「へそ曲がり」(「あまのぢやく」といふやうな意味)な私は、かういふ思潮が世間に漂ふのを見るにつれ、むしろ社会的に何の影響もなさそうなマカロニウェスタンや、ドタバタ喜劇に刹那的に逃げ込む自分を発見しました。

 そこで出会つた映画音楽、とりわけエンニオ・モリコーネの奇抜さと美しさが混在するメロディは、いたく魅惑的なものとなつてゆくのでした。

 

写真上:神戸新聞会館

写真下:新開地聚楽館