涙のスイッチ…童話編 | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

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団塊世代よりも年下で、
でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります

 

 それがしの個人的な趣味に無理矢理お付き合ひさせてしまひ、恐縮なのですが、先週「涙のスイッチ/音楽編」とでも称します駄文にて、『小さな木の実』を紹介させて頂きました。

 

 今週は、やはりこのお話を聞くと私は必ず涙する…といふお伽噺を取り上げます。

 それは、皆様もよくご存じの童話「泣いた赤鬼」です。

 「知らない」といふ人のためにストーリーの概略を申し上げますと…

          ◇   ◇

 ある村に、人間と仲良しになりたい赤鬼が居ました。

 そこで自宅の前に「遊びに来てください。お茶もあります、お菓子もあります」といふ看板を掲げ、万端準備して人間が尋ねて来るのを待ちました。

 ところが、いくら優しい気持ちがあるとは言へ、なにぶんにも「鬼」なので、人間はなかなか理解してくれず、家に尋ねてくる者は一人も居りません。悲しみ怒つた赤鬼は、看板を叩き壊し、自暴自棄になつて家にひきこもつてしまひます。

 そこへ、親友の青鬼が訪ねて参ります。

 赤鬼から事情を聞いた青鬼は「任せろ」と即答し、二者でひと芝居を打つことになります。

 

 青鬼は昼間から酒を飲んで村へ降りてゆき、家を壊し、人間を追ひかけ回し、乱暴狼藉を働きます。恐怖に震える人間たちの見る前へ赤鬼が登場し、青鬼を殴りつけて懲らしめ、青鬼を追ひ払ふのでした。

 「赤鬼は善い鬼だ」と信じた人間たちは、来る日も明くる日も赤鬼の家を訪ねて来ます。赤鬼は長らく青鬼のことを忘れて、すつかり人間と仲良く暮らします。

 

 暫くして青鬼が来ないことを不審に思つた赤鬼は、青鬼の家を訪ねてゆき、玄関の貼り紙を目にします。そこには「俺(青鬼)がお前(赤鬼)と仲良くすれば、人間たちはお前を疑ふだろう。俺は姿を隠す。これからも人間と仲良く達者で暮らしてゆけ…」と書いてありました。赤鬼は、青鬼の優しさと、友情の大きさに気付き、いつまでも泣き続けるのでした。

 

          ◇   ◇

 かうして物語を略して書いてゐる今でさへ、私は涙が出て参ります。

 このお伽噺には人として大切なことが書かれてゐる… 小学校時代から私はこの物語を「座右の銘」とし、男たるもの、青鬼のやうな人情、義侠心を持つて生きることが理想である… そこまで気分が昂揚してをりました。昔から単純ですねー。

 

 息子が3、4歳の頃、よく就寝前に寝床で本を読んでやりましたが、この絵本を手にすると、お恥づかしいことですが、私の方が泣いてしまつて、「泣いた赤鬼」が「泣いた父ちやん」になつてしまふのでした。

 

 閑話休題。

 私の高校・大学時代の1年後輩に、日本舞踊藤間流関西の藤間豊宏師匠が居られます。恩人でもあり長年来仲良くさせて頂いてをります。2、3日前に、ご存知松岡修造氏のご令嬢の入学が話題となり、宝塚音楽学校の入学式風景が報道されてをりましたが、くだんの師匠は本校の講師も努めてをられます。

 昨年8月に国立文楽劇場にて師匠の「ゆかた会」を魅せて頂いた際も、音楽学校の生徒さんがシャキッと背筋を伸ばした姿で大勢観に来られてをりました。

 さてその千秋楽の踊りが、この「泣いた赤鬼」を師匠がアレンジされて父子で演じられた創作舞踊だつたのです。恐らくは師匠もこのお伽噺に感ずる処あられるのではなからうか…さう考へるだけで、嬉しくなつてしまひます。