以前触れましたやうに、私の父母とも滋賀県彦根市の出身です。子供時代の夏休みには其処で長期間の休暇を過ごし、生涯における数多の思ひ出を作りました。
その際の、やはり忘れ得ぬ経験がありました。それは「もらひ風呂」です。
昭和30年代、未だ戦後と呼ばれる時期に私は生を享けましたが、当時は経済発展の将に上昇期に在り、電気冷蔵庫・電気洗濯機・テレビ(白黒)が「三種の神器」と呼ばれてをりました。日頃遊ぶ友だちの家々によつて、それらがすでに有る家もあれば、無い家も有ります。
「内風呂」と言つて、自宅に風呂が有る家、無い家もだいたい半々だつたやうに記憶します。
幸ひにして、商家だつた我が家は内風呂が有りました。羨ましがられる反面、近所に住む友だちが、夕陽を背にして父親や兄弟と共に(なぜか母親ではなく父親なのです)楽しげに銭湯に向かふ姿は、逆に羨ましく思つたものです。何と言つても銭湯は湯船が大きいですからね。
風呂付きアパートといふ物件もありました。午後5時くらひから一世帯30分と決められ、ひと家族が一緒に30分の間に風呂を使ひ、時間が来ると次の家族に交代といふシステムになつてをりました。まあ、その慌ただしいことと言つたら…。でもそれなりに一家団欒のチャンスでもあつたのですね。
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さて、父の彦根の実家近辺は大きな家が多く、内風呂もほぼ完備してをりました。
ところがそれでも、夕食が済み夜7時頃になりますと「今日は○○さんとこに、風呂をもらひに行つといで」と言はれるのです。子供心に余り気が進みませんが、兄と二人で祖母に連れられ、タオルを持つてつひ3軒ほど隣のお宅へ参ります。近所の見知らぬ爺ちやん、婆ちやんが、蚊取り線香を囲んで、にこやかに迎へてくれます。
「Sさん(父の名)とこの 子らやて」
「大きいなつたなあ、幾つや?」
「もつとこつちへおいで、お茶入れたるから」
といつた感じで、私たちは肴にされます。テレビでもあればラッキーなのですが、無い場合は結構気遣はしいです。こんな感じで三々五々集まつた人々が、一つの風呂に交代で入るのです。子供等は先に入れられます。なぜなら「年寄りは、早う入ると脂肪がのうなつて、肌がかさかさになるでのう」といふ理由から、私たちが風呂をもらひます。
この風呂の形が凄い。五右衛門風呂の一種ですね。上の図をご覧頂きたいのですが全体が樽の形をしてをり、高さは2m余り、湯の量はせいぜい膝下くらひまで。板が浮いてをり、その板の真ん中に足を置いてゆつくり入らねば板が転覆して熱い目に遇ふこと必定です。その緊張感から、とてものんびりできるものではありません。加へて湯が少なくぬるいので、全身浸かることも出来ません。
照明は20ワット程の裸電球で薄暗く、水面を目を凝らして見ると先に入つた人のアカがいつぱい浮いてをります。無論シャワーは無く、湯を追加するには水を足して竈に火を入れてもらはねばならないので、時間がかかるうへ超面倒です。
これでは夏でもなければ湯冷めは避けられず、湯から上がればまた先ほどの大人たちの間に戻り、肴になるしかありません。西瓜や菓子なども用意はしてあるのですが、何しろ時間の過ぎるのが遅いこと…。
娯楽の少ない田舎ならではの生活だなあ…と当時は思ひましたが、大人の社会にとつてはこれが大事なコミュニケーションなのだと気付くまでに十数年を要するのでした。