鍋物にまつわる話〈1〉 | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

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団塊世代よりも年下で、
でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります

  今週末は全国的な寒波とか、日本国中が寒さに震える季節ですね。

 スーパーへ買ひ物に参りますと、ありとあらゆる鍋物のつゆが、袋入りで販売されてをります。
 寄せ鍋をはじめ、ちやんこ鍋、塩ちやんこ、キムチ鍋、豆乳鍋、担々鍋、土手鍋…等々、全ての種類を買へば、一箇月は毎晩異なつた鍋料理が楽しめさうです。数々の食品会社が味を競ふことは、我が国鍋文化の発展に大きく寄与することでせう。
 

 或る博学な知人に教へてもらつたのですが、日本といふ国は「寄せ鍋文化」なのださうです。世界各地の食材(儒教、仏教、キリスト教や諸学問)が入つてきても、そのまま受け入れるのではなく、自国の味(文化)で時間をかけて調理し、ともすれば元々発祥の地よりも更に高度なものにしてしまふといふ場合もあります。素晴らしい得意技ですね。

 をつと失礼…話が大層になつてしまひました。

 昔は山村や海岸近くに居住する人々でなければ、なかなか新鮮な動物性蛋白が手に入りませんので、街に住む人々にとつて鍋物は最高のご馳走でした。父母に聞きますと、昭和20年後期〜30年半ば頃の勤め人(サラリーマンや公務員)でも、月に一度の給料日の日だけ、一家ですき焼きをつつくといふのが、一般庶民のなけなしの贅沢だつたと言ひます。

 私は商家の生まれなのでもう少し余裕がありましたが、今でも忘れられないシンプルな鍋物があります。それは「鮭缶鍋」です。
 鮭の缶詰をまず缶切りであけて、鍋の真ん中にぶつちやけます。その周囲に白菜の刻んだものを積み上げ、醤油と砂糖をかけ、あとはぐつぐつと煮るだけです。ねぎや豆腐を入れますともう少し豪華になります。
 さすがに今ではここまで質素な鍋物は作りませんが、冬は日常的に食してをりました。寒い季節は家族が揃つて温かい鍋をつつくのが、一番の贅沢だつたのです。

 知人に、終戦記念日の8月15日には家族で「すいとん」を食すといふ人が居ります。
 飽食の時代、また格差社会とも言はれる今、このやうな機会を年に一度催すのはとても意味が有らうかと存じます。

 2月ですので、次回は、昭和初期、二・二六事件の頃の「鍋物」の話を致しませう。
                        (つづく)

追伸:
 鮭は今では高価な魚でありますが、当時さほど贅沢品ではありませんでした。まして缶詰は…。日々の食卓を飾るリーズナブルな海産物と言へば、鮭と鯨でした。鯨は魚ではありませんが、現在では鯨の「はりはり鍋」も日本人の口に入りませんね。