理科の時間に「フナの解剖」 | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

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団塊世代よりも年下で、
でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります

 

 私ども昭和30年代に小学校に在校してゐた者は、4・5年生頃の理科の授業で「鮒の解剖」がありました。学級を6人ずつ7、8班に分けて行ひました。
 すなはち7、8匹の鮒が必要になりますが、学校の池などで飼育してゐるのではなく、その鮒の調達も児童に任されてゐたような記憶があります。現代と違ひ、そこら辺に鮒が棲息してゐることも感動的です。さしあたり現代なら水辺は危ないからといふ理由で、子どもらに鮒を調達させることなど、先ず考ゑられぬことでせうね。

 

 何日も前から授業終了後に、先生や班の者が手分けして近所の池や川へ行き、鮒を捕まえます。それらは大きなバケツに入れて教室の隅に置いてありました。そして理科の授業が始まると、各班長がジャンケンをして、勝つた者から順に好きな鮒を選びます。
 幸か不幸か私は班長で、更にジャンケンに勝つてしまつたために、班の友にけしかけられて、一番大きな鮒を手に入れることになりました。はつきり言つて、余りやりたくなかつたのですがね〜。

 

 私の班は半数が女子で、自分では解剖をやりたがりません。何故か、けしかける男子もまた尻込みをしてゐたため、結局私が手術を行ふことになりました。

 


 鉄皿の上の鮒を左手で抑ゑつけ、右手に解剖ハサミといふ、片方の刃の先端が丸くなつてゐるハサミを持ちます。鮒の肛門から丸い先端を差し入れ、腹をハサミで切つてゆくのです。「俎板の鯉」といふことわざとは裏腹に、鮒は苦痛の余り暴れます。暴れる鮒を更に左手で抑ゑるのですが、ヌルヌルとした体なのでこれが容易ではありません。飛び跳ねて床に落ちて暴れてゐる鮒を、心を鬼にして捕まえ、再び手術台に乗せ悪戦苦闘を繰り返してをりました。

 

 日頃、学級の男子をしばいたり、小突き回したりしてゐる女子連も、この日ばかりはなぜか大人しく、顔を真つ青にして両手で口を押さえ、苦戦を強ひられる私を遠巻きに見るばかりなのです。
 板前の修行をしたわけでもないので、至つて手技が稚拙なため、終はつた時のフナは心停止状態でした。
 ひとり上手な児童が居り、心臓が動いたままで終了させるといふ離れ業をやつたのには敬意を覚ゑました。

 

 さて一旦フナが死んで動かなくなりますと、先ほどまで青ざめてゐた女子連は息を吹き返し、「これは胃袋、これは心臓…」と、フナの内臓を仕分けてゐるのですから、女性…いや人間といふものは解らないものです。

 

 私が通つた中学では行なひませんでしたが、当時の中学ではカエルの解剖が生物の授業で行はれてゐたものです。カエルは内臓の配置が人間と似通つてゐるからだと聞きました。


 1970年(昭和45年)以降、生命尊重、人間性の尊重が叫ばれ、授業で解剖を行ふことは殆ど無くなつたと聞いてをりますが、どうなのでせう。
 さう言へば、私どもの頃には夏休みの宿題に「昆虫採集」「植物採集」のいづれかを選択するといふことが定番でしたが、「昆虫」の方はもう積極的に行はれてゐないやうです。むやみに命を奪ふといふことが正しい教育と言へるのか…といふ論理だと思ひます。

 確かに、虫を殺して標本にすることよりも、捕まえてきた虫を飼ひ、繁殖させたり、巣を作らせて研究する方が「命」を見つめる上でも有用なことではないかと思ひますね。
 ちなみに元新日本のプロレスラーで垣原賢人といふ人は「ミヤマクワガタ」の研究家ですが、昆虫と森を守るといふ理想を掲げてをられるさうです。以て範としたいものです。

 

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プロレスファンの皆様へ


 先日話題にしましたWWEのNXTテイクオーバー・トロントをテレビで観戦しました。結果はASUKAの勝利となりましたが、我が愛しのミッキー・ジェームス、実にいい試合をやつてくれまして、不覚にも感涙致しました。

 ミッキーは徹底的にASUKAの動きを研究してゐるのが判り、相手が得意の打撃技を極力カットし、同じ技を2度受けることなく鎌固めやルーテーズドロップで追ひ込んで、終盤でも見事なチックキックをクリーンヒットさせてくれました。
 今のASUKAに勝てる選手がさうさう居るとは思へませんので、ミッキーはよく追ひ込んだものです。

 ミュージシャンとして、また幼な子を抱ゑるママさんレスラーとして、これからも大活躍して欲しいと思ひます。

 それにしてもASUKA、ミッキーからの試合後の握手を拒否するとは思ひ上がりも甚だしい(怒)。