老人から小学生に到るまで、己個人の電話(携帯電話)を所有する時代です。携帯電話は、会話とメールだけだつたのが、カメラ、テレビ、音楽… スマートフォンを持たぬ者は時代遅れと笑はれても、反論さへ出来ません。
家庭にもそれぞれパソコンがあり、手紙はメールへ、新聞はインターネットへその主役を変へてしまひ、手を使つて文字を書く習慣もどこへやら、それを不思議と思ふこともなくなりました。
昔は「成人映画」と言ひましたが、ポルノが家庭、仕事場、年齢を問はず、何処に居ても誰でも見られるといふ事象も、また致し方ないのでありませうか。
さて、18歳未満は入場お断りといふ表示のある「成人映画」。これを映画館で生まれて初めて鑑賞したのは、私が14歳、中学3年生になつたばかりの頃でした。場所は阪神尼崎駅に近い「尼崎グランド」。
私は背も低く小柄なため、少しでも年齢を隠さむとコートを着用、帽子をかぶり、マスクをして(笑)今思へばたいそう怪しい格好で、ひやひやしながら切符を購入。 幸ひ、映画館の切符窓口は縦10センチ、横30センチくらひの穴で安堵しました。でも、もしかするとマジックミラー仕様で、映画館の従業員さんから、私の姿は丸見ゑだつたかも知れません。後ろから声をかけられぬやう、足早に座席の方へ急ぐ私です。平日昼間だつたので観客は十数人程度でした。
お目当ての映画の題名は「醜聞」といふスウェーデン映画です。当時は成人映画の洋画といへば北欧、とりわけスウェーデン作品が殆どでありました。事実かだうかは存じませんが、北欧といへばフリーセックスといふ意味不明の固定観念が一般的で、「ポルノ解禁」論争が学者文化人の間で繰り広げられてゐたのですから、何とも牧歌的な時代です。その頃口角泡を飛ばして論争してゐた野坂昭如氏や11PMレギュラーの面々が、現代日本を見たら何と思ふでせうか。
主演のソルヴェーグ・アンデルソンといふ若い女優さんの名前も、今もつて忘れることはできません。妙に記憶力の優れた私は「醜聞」の内容もしつかり覚ゑてをります。
幼くして家族を失つた16歳の少女が、菓子を貰つたり優しくされたお礼にと無邪気な心で、下心バリバリのおじさんたちに接する生活。それを見かねた保護司夫妻が、その少女に人間の本当の優しさを教ゑ、最後に立ち直つた彼女が少女らしい微笑みを取り戻すといふ、至つて教育的で癒されるストーリー展開でした。
この頃はモザイクといふ隠し方は余り一般的でなく、その部分が映つた画面の半分を黒く覆つてしまふことが多かつたです。この映画では、恐らくフィルムそのものにキズを付けて色を消す方法が用ひられてをりました。そのキズそのものに光が透過して、黄色い光が右へ左へ、上へ下へと動いてをりましたつけ。
翌日、中学校へ登校した私を迎えたのは、にきび面の悪童たちで、「トリトン、××映画行きよつた〜」「しゅーぶん、俺も連れて行つてくれや〜」と囃したてられ、「俺は新開地行くぞ〜」と気勢を上げる者も居りました。男子校だつたので、女子から軽蔑の目で見られるといふこともなく、すこし背伸びした、現代から見れば何ともたはひのない学園生活は過ぎてゆくのでありました。