忍びの者 | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

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団塊世代よりも年下で、
でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります

 忍者ブームといふものが、これまで何度繰り返されたことでせう。

 我が国を観光で訪れる外国人の間で “Ninja” は人気抜群ださうですね。伊賀上野観光協会も町を挙げて取り組んでをり、多大な成果を挙げてゐるところをテレビのニュースでも取り上げてをりました。

 

 私どもの小学生時代にも大ブームがありました。

 恐らく、以前にも話題に触れました時代劇「隠密剣士」が火を点けたのではないかと、私は考へてをります。たしか土曜か日曜の午後7時の放映で、大瀬康一扮する公儀隠密・秋草新太郎が全国諸藩の不正を正してゆくといふ内容で、中でも牧冬吉扮する「霧の遁兵衛」が剣士を支へる重要な役どころでした。黒装束の忍者軍団に対して遁兵衛はグレー(白黒テレビなので…)の装束だつたのを覚へてをります。

 ドラマもさることながら、番組終了前の5分程を、お名前を失念しましたが当時有名だつた忍者研究の第一人者の方が、武器や使用法などを解説してくれるといふコーナーがあり、これが重厚でした。

 

 さて、同時期(昭和37年)に村山知義著による「忍びの者」といふ作品が映画化され、市川雷蔵主演で大ヒットしました。この作品は「石川五右衛門」といふ、歌舞伎では大泥棒として有名な人物を伊賀忍者として描いてをりました。映画で市川が演ずる五右衛門は、師匠百地三太夫(藤林長門守かな?)の女と関係を持つたことで、罰として密偵を命じられるといふ、少々ただれた内容でした。小学生だつた私には見せてもらへなかつたですが…。

 

 さて、私が子供心に「忍びの者」に取り憑かれたのは、映画版ではなくテレビ番組の方でした。前回のお話で申し上げました滋賀県彦根市の父の実家で、その第一回を見て、怖くて眠れなかつたのを覚へてをります。原作は同じ村山知義氏ですが、その内容たるや、暗く残酷で、やるせなく、笑ふやうな場面など全く無いドラマでした。

 

 それもそのはず、ずつと後に知るのですが村山知義といふ人はプロレタリア作家だつたのです。小説「忍びの者」は当初、赤旗日曜版で連載されてゐました。日本史は、ことさらに陰湿に描くのが彼らの使命だつたのでせう。日本共産党の支援者、賛同者として選挙の度に氏の名前が出て来たものです。テレビ「忍びの者」にもその左翼思想による歴史認識がバリバリに現はれてゐたことが、今となつてはよく解ります。

 

 

 さて、そのやうな思想的側面を別にしても、このテレビドラマには心底、嵌まりました。第一回で見たのは、忍者が敵に包囲された時、天井裏で小刀を取り出し、自分の顔を滅多切りにする場面でした。顔を潰して誰か判らなくするためでせうね。無論、当時のテレビは白黒なので血は黒く映るのですが、これは真剣に怖かつたです。この第一回は放映後、映像倫理上の社会問題になつたと記憶します。

 また五右衛門の幼なじみのくの一「たも」との出会ひ、次々に倒れてゆく里の仲間との別離には何度も泣かされます。さらに女性が女郎として売られたり競りにかけられたりする場面にしても、やたらリアルで、現在なら「R指定」確実な番組だつたと思ひます。

 

 五右衛門に扮するのは、ご存じ品川隆二です。この人は確かミスター日本(ボディビルのそれではありません)に選ばれたこともある色白の美形でした。この「忍びの者」でのシリアスなイメージは、この直後に始まる「素浪人月影兵庫」の「焼津の半次」といふ三枚目役で、ものの見事に雲散霧消してしまふ事にも衝撃を受けました。

 

 この「忍びの者」には猿飛佐助の役で坂口祐三郎が出演してをり、この人も後年「仮面の忍者赤影」主演で活躍します。さういふ意味でも、この「忍びの者」は忍者ブームの源流に位置するテレビ番組であつたのだなあと、感慨を覚へる昨今です。

 

 同時期に「忍者部隊月光」といふ番組もありましたが、こちらは現代が舞台なので、本格的な「忍者」とはまたジャンルが異なるかと存じます。