斎藤茂吉(1882~1953)は歌人にして精神科医。伊藤左千夫(野菊の墓で有名)門下であり、大正から昭和前期にかけてのアララギ派の中心人物です。ありのままの自然の偉大さ、美しさを歌ひ上げる作風です。氏の短歌には動物を題材にしたものが多い…といふのは私の勝手な感想ですが、此処に取り上げましたのは、そのうち鶏(ひよこを含む)がテーマになつてをります。
見てを居り 心よろしも 鶏の子は
ついばみ乍ら ゐねむりにけり
庭つとり 鶏のひよこも心がなし
生れて鳴けば 母にし似るも
乳のまぬ 庭とりの子は 自づから
哀れなるかもよ物食みにけり
めんどりら 砂浴びゐたれ ひつそりと
剃刀研人(かみそりとぎ)は 過ぎ行きにけり
今にも鶏親子が飛び出しさうな様子が見へて参りますね。
さて私の本籍は滋賀県彦根市で、父方の実家は琵琶湖のほとりでした。夏休みになれば水着を持つて1週間ほどその家に滞在し、その次に、バスで10分くらひの場所にある同じ市内の母の実家で半月くらひ滞在するのが常でした。
母宅は中山道に面し、江戸時代は本陣(武家は武家でも殿様だけが泊る所)だつたので、蔵に入るとお駕篭や甲冑もありました。広い庭があり、朝は鶏の一声で起床するのが祖父、祖母の暮らしでした。祖母は若い頃、神戸で教師をしてゐたこともあり、いつも微笑みを絶やさず、私ども孫にはとつても優しい人でした。
やはり小学生時代の夏休みに、私はその祖母が激怒した場面を、一度だけ見たことがあります。
庭で飼つてゐた雌鶏(プリマスロック)のうちの一羽がたいへん開明的な性格で、朝一番卵を産んだあとは祖母の跡を付いて回るのですが、隙有らば小さな篭から逃げ出して、広い世界を駆け回らむとするのです。
或る日、裏庭の木戸の隙間から逃亡した彼女は、久々の自由を謳歌して本通り(旧中山道)に繰り出しました。うちの正門の前を通過して、隣りの魚屋を通過、その隣りが肉屋、その向かいは寺院…。この日、彼女はそのまま失踪し、ふたたび帰ることはありませんでした。
祖母がとても心配しました。家族や私ら孫の夕食の支度を済ませると、夕方から雌鶏の行方を求めて探し回ります。家の周囲やお寺の庭や墓地を訪ねたあと、近所を一軒一軒尋ね歩くのです。さながら実の子を探す親のやうでした。
そこで本通りを歩く鶏の姿を目撃した人が居り、普段から余り仲良く無かつた肉屋の店頭を訪ね、そこで彼女の変はり果てた姿を目撃するのです。
本来は牛肉・豚肉を売る店で、鶏肉は日頃扱つてをりませんでした。それを指摘した祖母は、肉屋の大将から「店の前を通る鶏が居たので、捕まえてつぶした」といふ言質を引き出したのです。
祖母は怒るわ、泣かむばかりに抗議するわ…。家に帰つてきても、2、3日はふさぎ込んでをりました。それ以降、その肉屋と絶縁関係になつたことは言ふまでもありません。後年、祖母亡きあと、親戚が集まると私はこの話をするのですが、今なお誰独りとして覚へてゐる者は居りません。(本編、斯様な結末が多いですが、本人は実話のつもりです)合掌
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追伸
プロレスファンの読者の方々へ。来たる11月19日カナダ・トロントで開催されるNXT Take Over でASUKA に対し、ミッキー・ジェームスが挑戦する事が決まつたやうですね。プロフィールに書いてをりますやうに、私は熱烈なミッキーファンなので少しばかり心中複雑です。無論ミッキーの実力は第一級ですが、現在はミュージシャン半分。総合格闘技並みのASUKAの打撃に耐へられるかだうか…。これが5年前くらひなら日米代表決戦だつたのに…と感じます。12月凱旋帰国のASUKAは、当代最高の素晴らしい選手ですが、今回私はミッキーを応援する所存です。