おもに関西で用ひられる、上品でない言ひ回しに「ドツボにはまる」といふものがあります。
大体の意味は、アンラッキーな境遇に陥るとか、脱出困難な状況に囚はれるさまを言ふやうです。この「どつぼ」といふ言葉、ネット等で色々検索してみますと、だうやら「野壷」のことらしいので、今日はこれについてお話しすることにしませう。
食事中の方にはごめんなさい。単刀直入に申し上げますと「野壷」とは「肥溜め」のことです。
昭和30年以前の我が国では、きちんとした農家までゆかづとも、一般の人が、ちよつとした畑や空き地を利用して野菜を栽培することは、日常的に行はれてゐる時代でした。野菜を育てるには肥料が要ります。当時、水洗トイレは未だ普及してをりません。現代のやうに化学肥料は無く、ハイポネックスやHB101も発明されてゐない時代、手軽な肥料と言へば即ち人糞尿のことです。
近所のお百姓さんが天秤棒で「肥タンゴ」を担いで町内を尋ねられ、お宅の「肥へ」を下さいと申し出られ、タンゴになみなみと持ち帰り、何度か往復された後、お礼にと大根や茄子を置いて帰られることは日常茶飯事でした。
さうして持ち帰られた「肥へ」を、畑の敷地や草むらに埋めた大きな壷に溜めておくのです。壷と言ひましても、私が知るものでさへ深さ1m以上、直径50cm以上もある大きなものです。野に在る壷なので「野壷」と呼びます。恐ろしいのは、この野壷に蓋が設置されてゐない事が多かつたのです。
さて半世紀を遡りますが、私の親しい友人A君(幼稚園に一緒に通つてゐた)が、この野壷に転落した出来事は今も忘れられません。別の園児と手を繋いで、恐らく通園路ではない別の野原を歩いてゐたのでせう。A君だけが野壷に転落、もう一人の園児は多分その状況にパニックを起こしたのでせうか、逃げて帰つてしまつたさうです。
A君は背も届かない壷にドブンと落ちて、若干「飲んだかも知れない」と言つてをりました。その危険な状況下、将に必死で手を伸ばし、周囲に生えてゐた草を掴んで這い上がつたのです。想像するだに恐ろしく、過酷で孤独な闘ひです。糞尿まみれ、しかもずぶ濡れになつて、彼はひとり歩いて帰宅したのでしたが、親御さんたちが如何に恐怖され憤りを感じられたか、容易に想像できるといふものです。
これが現代ならば、野壷の持ち主は言ふに及ばず、町内会、市役所、幼稚園を巻き込み責任を追求して大訴訟が展開されることでせう。さらに逃げてしまつた園児の親御さんとは疑ひなく不仲に陥つたことでせう。
信じられないことですが、私が幼い頃には、新聞社会面で「幼児、野壷に転落、死亡」といふ記事をしばしば目にしたものです。幸ひA君は自力で脱出しましたが、このやうなシチュエーションで子供が亡くなるのでは、余りに可哀想ですね。
ちなみにA君は、この一件で「ウンに見放された」訳でもなく、今も元気で、半世紀を過ぎた現在でも、私ども家族と良好な関係を築いてをりますのでご安心下さいませ。