ロバのパン屋 | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

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団塊世代よりも年下で、
でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります

 私の母は教育熱心で、生活態度にも厳しく、幼い頃は絶対「買ひ食ひ」をさせてもらへませんでした。月1回、小遣いは貰ふことはあつても、自由に使はせてもらへなかつたのです。

 近所の友達と公園で遊んでをりますと、それを見はからつて自転車で引いた紙芝居や、アイスクリーム売りのおじさんがやつて来ます。友達は皆「わーい」と駆け寄つてゆくのですが、私と兄だけは日頃の厳しい教育による自己規制が働いて、決してそれに同調することができませんでした。付き合ひの悪い子供だつたと同時に、若干寂しい思ひをしたものです。

 そこで一計を案じました。母の兄弟つまり叔父や叔母が一緒に居るときを利用して、彼ら彼女らに買つてもらふ…といふ方法をあみ出したのです。私が叔父、叔母の手を引つ張つてねだるのは「ロバのパン屋」で売られてゐる「蒸しパン」でした。

 「ロバのパン屋」をご存じでせうか。文字どほりロバがワゴンを引いて、路上をのんびり売り歩くのです。その際、レコードで音楽を鳴らして練り歩くのですが、その歌(音楽)がまた牧歌的でした。この歌が鳴り響くと、そこらの家々から子供等が飛び出してきて、ロバとワゴンの後をついてゆく。その風景は、とても楽しく微笑ましいものでした。

 この歌、実は私、今でもよく覚へてをります。三番か四番くらひまでありましたが、長くなるので一番だけご紹介しませう。

一、ロバのおじさん チンカラリン
  チンカラリンロン やつて来る

  ジャムパン ロールパン

  出来たて 焼きたて いかがです

  チョコレートパンも あんパンも

  何でもあります チンカラリン

 いまだ占領政策がそこかしこに残る時代(或る意味現代もさうですけど…)、昭和30年は自由民主党が誕生した年ですが「食生活改善運動」といふものが提唱され、鳩山一郎氏の令夫人が総裁となり、学校給食の「パン化」を推進。私どもの小学校給食もコッペパンでした。
 後年耳にしたのは、この当時「ご飯を食べるとバカになる」といふ洗脳教育が推進されてをり、アメリカから大量の小麦粉を輸入する政策が進み、同時に肉類・乳製品を大量に摂取するための食文化が、半ば強制されてゐたといふ裏事情があつたさうです。そんなこととは庶民もロバも知る由もありません。

 ここに載せました一葉の写真は、当時の「ロバのパン屋」です。ワゴンの側面に「一日一食パン食に慣れませう」と書かれてをるのが、当時の時代背景を思はせます。

 この懐かしい「ロバのパン屋」さん、私どもの小学校時代までは結構メジャーだつたのですが、衛生上の理由なのか、動物愛護の視点からか、いつの間にか街角で見かけることがなくなつてしまひました。