起業から、経営者へ、そして・・・ -18ページ目

起業から、経営者へ、そして・・・

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耕一は、かつてのデジタルカラープリンタ業界とのつながりであるオフセット印刷を中心とした、商業印刷に注目する事となった・・・・


耕一は、とりあえず、3ヶ月の期間限定で、ハイデルベルグジャパン(HJP)からの指示による印刷業界向けの消耗品販売部門立ち上げに関わる市場調査と事業計画案の立案と言う事で、水谷との交渉をまとめた。

しかし、いきなり市場調査といっても、何を起点に進めるか?まずこれを探り出すのに、約2週間かかった。その間、耕一は大森にあるHJPに終日、常駐し社内で可能な限りのデータに目を通した。元々、この企業の前進は、30年以上前から存在し輸入商社であった。ビジネスの起業の商材は、「黒鉛」(材料)であった。戦後の復興から、経済成長とともに、「鉛筆」の需要が増え続け、第一次の波が来たのであった。この企業は、これらで第一次の基盤を築いた。その後、幾つかのビジネス展開を進めつつ、ようやくヒットし始める商材が見つかった。これが、ドイツに本社を持つハイデルベルグ社の印刷機であった。経済復興と共に、必ず比例して伸びる業種がある。どうだろうか?・・・・そう、IT(情報技術)産業である。言い換えれば、当時のIT革命は、紙媒体を中心とした新しい印刷技術に他ならないのではないか?品質の高い、低価格の印刷(成果)物が大きく需要を伸ばし始めたのである。そう、まるで携帯電話が売れているように・・・当時、経済成長と共に、出版は伸びたはずである。学力社会で、より一層、出版物の需要が高まった。

そんな中、ハイデルベルグの印刷機は、まさに「ベンツ」的存在であった。当時を知るカスタマーサポートのベテランが、こう語った。
「当時は、本当に良く売れた。しかも1円も値引きもせず・・・ドイツを出荷する前に半金回収して、日本に着いた時点で、残金を回収し、客先での設置は、ものの半日で適当だった。だが、当時のその印刷機は今と比べ物にならないほど、実に優秀で、大して調整もしないで、動作確認のまま2年間くらい、一度も故障せず動いていた。当時は、それが、当たり前だったわ。ホンと逆に楽だったわ。客からは、待ち焦がれた機械が来て、最初の試運転の際に、歓声が上がるくらい、感謝されてたわな・・・・最近では、さっぱりだけどね・・・・」

そう、当時、国産の印刷機はやはり未だ技術が未発達だったのだったのだろうか、その当時は欧米からの輸入品の機械類は、かなりの品質に開きがあった。
それから、数十年・・・・いつの間にか日本は、経済成長と共に技術革新が進み、世界の水準に肩を並べるに至った。それは、機械だけではない。電子・電気、化学・材料・医療・食品・・・・あらゆる産業分野においてその成長、成熟の度合いは、いつしか欧米人が勉強しに来るまでになった。・・・


さて、耕一の進める市場調査は、基本的ではあるが、これまでHJPが日本市場にどのような印刷機械を何台、何種類、どのくらいの期間で、販売したか?また、現在、稼動している印刷機は何台見込めるのか?この情報を整理しようとした。・・・
しかし、整理されたデータは何処にも見当たらなかった・・・・

製品群別の部署のトップに聞いても、不明・・・全国にある各営業所に聞いても、不明・・・はて?どうしたものかと・・・仕方なく、過去のデータの打ち出し(印字)したものに目を通し、簡便的なDBを作り、今過去のデータを流し込んで、様々に分類し、ようやくぼんやりと見え始めた数字があった。更に、耕一は先の生え抜きの現場の担当から聞き取りをしつつ、そのデータと照らし合わせていった。

徐々に、市場の全体像がぼんやりと見え始めた・・・・耕一は、このデータから、本来の目的である消耗品を分類・抽出し、HJP製の印刷機で、推奨または、多く使われているサプライヤー(メーカー)と直接話をして、状況の把握に専念した。以外にも、まとまったデータはなかなか存在しないのである。耕一は、どうにも納得がいかない・・・そこで、水谷に頼んで、実際にクライアントの現場に出向いたのであった。・・・

よく耳にするこの「マーケティング」なる言葉だが・・・


その語彙の解釈は多種多様である。

欧米の企業文化において、経営上一番重要視されている一つでもある。しかし、言葉に踊らされていないだろうか?

「マーケティング」にも幾つかのカテゴリーがあると思う。

1.技術
2.商品
3.顧客
4.市場
5.売上
6.宣伝・広告

などである。これらは、当然のことながら繋がっており、連動している。
これらを、どのように正確に理解し捕らえるか?・・・

続きは、次回へ・・・


耕一は、纏め上げたデータを日本法人の社長に説明した。


社長の井上は、驚きを隠せなかった。

井上「これは、面白いデータですね。このデータによるとカラー複写機へのカラーサーバの接続率は、日本全体で30%以下の現状ですね。また、メイン3社のうち、C社だけが、50%近い接続率を著している。要は、他の2社の接続率が上がれば、当社の売上の底上げが見込める。」

耕一「そうです。また、新規で我が社が狙う国内のプリンターエンジンについても、モノクロプリンターの出荷台数からすれば、どこを重点的に狙うか分かる気がします。とりわけS社ではないでしょうか?」

井上「うむ。そうだな。しかし、価格的に折り合いが付けられないのが現状だが・・・」

耕一「そこで、日本国内における年間出荷台数から、カラー化率を逆算して、当面の売上目標も試算できると思います。」


このように、耕一のデータは、あらゆる分析の元となった。耕一は、この感覚と実務経験を今回のハイデルベルグジャパンでも再度実行する必要があると考えた。

暫く、業界から離れていたこともあり、取り掛かり始めは感を取り戻すのに多少の時間を要した。オフセット印刷機械メーカーとしては、コモリ・アキヤマ・ローランド・Agfa・Sitex等が存在していた。また、旧来の古い業界であり商流も複雑に入り乱れていた。しかし、市場は明らかに変化していた。それは、1枚の紙に印刷される場合、これまでは4色(C:青・M:赤・Y:黄・K:クロ)であったが、昨今は、7色、8色、更には特色(金・銀・発光色)などの多色刷りが主流になっていた。しかし、印刷単価は10年前の4色刷りより、低価格を求められていた。よって、印刷業界の現場では、収益が極端に低く、同時に人材も育ちにくい環境にあった。要するに、抜本的に業界の商習慣を改革しなければ、業界全体が厳しい状況にあった。

耕一は、これらの裏づけとなるデータ、及び検証を集めまとめたデータを作ろうとしていた。

耕一は、依頼のあった話の内容から可能な限りの調査をはじめた。


かつて、耕一は米国の某外資系企業にて、デジタルカラープリンターにおける心臓部といわれる、プリンターコントローラーを提供するメーカーに勤務していた。

それは、イスラエルのSitexからスピンアウトしたベンチャー企業であったが、デジタルカラープリンティングにおいては、郡を抜く技術力があった。昨今、一般家庭にまでカラープリンターは普及している。しかし、1990年代後半においては、オフィス環境を含め、プリンターは白黒(モノクロ)が主流で、当時「カラー化」は全くといって良いほど一般には認知されなかった。印刷物も当然、カラーは「オフセット」印刷が当たり前で、「デジタルカラー」印刷は、品質・価格ともにそれとは劣っていた。

耕一が勤めていた日本法人のビジネス展開の方法は、日本の大手の「カラー複写機」とターゲットとして、これをネットワークカラープリンターに拡張するためのコントローラを、OEM提供する方法であった。このコントローラは「カラーサーバ」と命名し、販売していた。搭載しているOSは、VXワークスであった。(現在は、デジタル機器や家電に搭載されているものもある)
一口に、OEM提供といっても、非常のDeepな交渉を要求されたのである。クライアントの新機種に合わせて、スタンダード準拠としてオプション品として取り扱ってもらう為には、クライアントの細かな要求を受け入れ、米国本社との依頼・調整にかなりの労力を費やした。
当時この製品は、カラー複写機が250~300万円に対し、同等の価格であった。大変高価なものであった。通常は、そんな高いものが売れるわけがないと思われたが、印刷技術の工程の上流である「デザイン」の段階でDTPが主流になっていた現場では、オフセット印刷(本製作)にデータを流す前の確認工程における「カンプ」を印刷することにおいてはその重要性は大変大きかった。また、このDTPではマッキントッシュが今でも主流だが、このPC(ワークステーション)において、もう一つ重要な要素が「文字」であった。
ご経験がある人もいると思うが、画面上と全く同じように紙に印刷するのは大変な技術であった。ここにAdobe社のPostScriptという印刷記述言語が存在していた。これに対応するには、当時、WindowsPCでは不可能であった。

耕一の扱っていた「カラーサーバ」は、このPostScriptも搭載し、2バイトコード(日本語)対応を可能にし、更には印刷業界で必要不可欠といわれる「モリサワ」フォント(書体)を搭載していた。よって、ライセンス料や、独自の開発費、また独自のハードウェア等のコストからすると、結構なコストがかかっていた。よって、米国本社側は基本仕様(スタンダード)品をリリース(発売)すると、全OEM
に対して、一方的な仕様の押し付けも頻繁にあることであった。

当時、耕一は技術的な事は全く知識が無かったが、クライアントとの交渉において日々、憂いていた。それは、何とかスムーズに導入を狙うだけではなく、各クライアントの支店・販売店・代理店を通じ、どのように現場で販売していくかもその責任の範疇であったからである。
耕一の社内では、大手OEMクライアント毎に縦割りの組織であった。それは、ワールドワードの組織も同じ構成であり、隣の席の同僚の仕事の状況は全くといって良いほど分からなかった。社内での営業会議も、3ヶ月に1度程度で、その詳細は全て個別で進められていた。その状況の中で、耕一はある一つの事を閃いた。それは、日本事務機工業会が毎年発表する統計データを眺めつつも、少なからずカラー複写機の動向を正確に掴むにはどうしたら良いのか?また、競合他社(2社)の動きを捉えるにはどうしたら良いのか?・・・・

それは、耕一と同じ職場である同僚を一人ずつ口説くことであった。耕一は、19時を回ると、一人ずつ食事に誘った。A社・B社・C社・・・そこで、今後の自社の販売展開において独自の意見を話しつつも、今何が不足しているかを説いた。それは、日本市場における自社の独自データであった。こうして、少しずつ聞き取り調査を元に、あるデータを纏め上げたのである。このデータは、先の公のデータとは異なり、今後の中長期における市場の変化も推測・想像できる内容であった。(続)

一週間後、耕一は水谷のいる「ハイデルベルグジャパン」へ訪問した。


場所は、大森海岸(京急線)から徒歩3分ほどの場所にあった。

耕一は、一応B-Linksのプレゼンの準備をしていた。

水谷「中澤さん、わざわざお呼びだてしてすみませんね。」

耕一「いえいえ、こちらこそお邪魔してすみません。」

水谷「今、ドイツの本社から新規事業の立ち上げ指示が来ていて、どうするべきか検討しているところなんですよ。その新規事業というのは、当社の販売している印刷機器全般における消耗品の販売部門を立ち上げたいんだ。既に欧米のエリアでは、別ブランドでKodakの商品を中心に展開している。」

続けて・・・

水谷「要は、同じ機械を使っても同じ品質で印刷が出来ないという問題に対応する為なのですが、実際にはこの消耗品のビジネスは、保守・サポート・メンテナンスと併せると、それなりの相乗効果、及び売上見込みがあるのではないかと踏んでいます。これを具現化するために。調査・立案・実行までを含めた仕事を依頼したいんです。」

耕一「そうですか・・・今の話だけでは、私の中に現実味は薄いですが・・・新規立ち上げと言う事であれば、じっくりやってみることも可能かと思います。」

水谷「出来れば、常駐で社内もじっくり見て欲しいんです・・・」

耕一「はい。そうですね。まずは、御社のスターディを早急にする必要がありますね。」

水谷「条件に付いては、どうだろう?」

耕一「私から金額提示をするべきですかね?」

水谷「この会社の空気だと、安い金額で押し切られちゃうから、それなりに準備してくれますか?で、出来ればそのうちの一部を私に少し回してもらえれば有難いです。」

耕一「はい、分かりました。とりあえず今お聞きした内容を踏まえて、当方からの提案書をまとめます。」

水谷「来週、どこかで時間作るからそれまでに準備して下さい。」

耕一「はい」そして、その場は終わった。

人脈と言うのは、色々あるが、いずれにせよ信頼関係も金銭で構築できる場合もあるし、後から付いてくることもある。それが、合法か、非合法か?・・・・
民間の場合はこの場合は払う側には問題ないが、受け取る側には問題が発生する場合があるかもしれない。


その後、耕一はこの件に関する概略をまとめ、契約条件を設定した。それは、初期3ヶ月間の仕事と、それ以降に分けたのであった。なぜなら、リスク分散を想定したからであった。企業において、新規に物事を始める際に、一番抜けている場合が多い事がある。それは、調査・分析である。
よく、『この業界は・・・』という言葉を耳にするが、実はこれが一番、厄介である。場合にもよるが、実際には何も知らない事も多々ある。よって、間違った認識で物事を組み立てる事が多い。当然、上手くいくはずも無く、最後は、責任の所在の誤魔化しに専念するのである。
耕一は、やる限りにおいては、中途半端な思考では、動けないと考えた。(続)

耕一は、数ヶ月ぶりにその店に入った。


バー「ひしぬま」であった。
カウンターだけの小さな店であるが、常時女性二人で接客している店であった。ここのママ「美沙」が、耕一のエイペックスジャパンの頃から今に至る経緯を見つめていた。そして、この日彼女から意外な話があった。

美沙「中澤さん、もし良かったら紹介したい人が居るんだけど・・・」

耕一「えっ?どんな人?僕に関係あるのかな????」

美沙「うん、ある外資系に勤めている人なんだけど・・・多分、気が合うと思うし、どうかなと思って・・・」

耕一「まあ、ママがそう言うなら別に断る理由も無いからいいよ・・・」

美沙「よかった!後30分位したらその人がこれからここに来るのよ!よろしくね!」

それから、小一時間ほどして・・・一人の男性が店に入ってきた。背丈は小さいがなかなか貫禄のある雰囲気を持っていた。彼は水谷氏であった。

水谷「いや~来るのが遅くなってしまった。なかなか抜けられなくてね・・・今日は忙しそうだね?」
そう言いながら、店の中を見回し、数人の客が居る事を確認したようだった。

美沙「忙しくはないよ!もっと、売上に協力してよ!・・・・ところで、さっき話してたんだけど、こちらを紹介するわ・・・」といいながら、耕一を手招きした。耕一は、名刺を出し「はじめまして、こんなところですみません。」と挨拶をした。

水谷「いや、こちらこそはじめまして・・・ああ、彼女からちょっと伺っていましたよ。いや、機会があれば是非お会いしたいと思っておりました。こちらこそ今後ともよろしく!」

耕一「いや、恐縮です・・・」

それから、水谷・美沙・耕一の3人で世間話をした・・・・

水谷「今度よかったら、昼間会社に来てもらえるかな?」

耕一「はい。喜んで伺います。こちらから先ほどの名刺のメールにご連絡させていただきます。」

水谷「そうだね。待っていますよ。」

耕一「それでは、私はこれで失礼します。」

と頭を下げて、その店を出た。

この水谷と耕一の出会いが意外な展開をもたらす事になる。それは、世間で言われる人脈とは異なり、なかなか意外な方向に向くのである。

耕一は、なんとなく高揚していた。アルコールのせいもあったが、彼自身の中になんとなく、見えない閃きを感じていた。そう、飲み屋で「営業」とは良く口にするが、実際に実を結ぶ確立は低く、思ったほどいい関係や、上手くいく話はないのが普通である。しかし、今夜の耕一の閃きはそれとは違った。この閃きは、的中したのではあったが・・・(続)

第一回目の「異業種交流会」は、初回でもあり盛り上がった。


本来、このパーティーの目的は「好機」を生み出すためのアシスト的な意義を持って開催したのであったが・・・

耕一も藤本も、本音は少し違っていた。要は、「訪問営業」をする手間を省き、かつ費用も持ち出さないことに意味があった。結果、予想以上に「情報」が集まりつつあった。

藤本は、元々金融機関の出身である。耕一とは違った人脈を持っていた。特に、証券・VC(ベンチャーキャピタル:直接金融)のネットワークである。この世界は、耕一がかつて経験した人種が大勢存在している。これには、直接的に接点を持ちたいわけではなったが、藤本の語った「空中戦」はまさに、これらの人種との駆け引きとなる。

一方、耕一はこれまでの人脈から、様々な相談事の声が掛かるようになりつつあった。それは、耕一個人の経験だけではなく新たに元「ネクサス」の色が多少ついていたことであった。これは、引いては「光通信」の孫会社と囁く声もあった。
これまでの状況にいたる経緯において、「ネクサス」の水とその根本がまったく異なっていたことは、確かである。しかし、企業と言うのは「結果=数字=利益」で評価されるのは当たり前である。耕一自身は、感情的にはネクサス体質を否定する感情があったが、理性的には脱帽していた。この繋がりで紹介される内容は、なかなか理解しがたいものもあった。

ある時、藤本と耕一が打ち合わせをした。

藤本「中澤さん、当面の食扶ちをどうしますか?」

耕一「そうですね、これまでの日本エンタープライズ(NEP)でお世話になった分で、1~2ヶ月は持ちこたえられます。それまでに、何かしらの収益源を確保します。」

藤本「そうですか・・・なら今のところは大丈夫ですね?ところで、私はNEPを近々、抜けます。その子会社である企業に一応社長として座ります。」

耕一「そうですか・・・」

藤本「もし、可能ならその会社との契約も含めて手伝ってもらえませんか?」

耕一「はい、わかりました・・・」

B-Linksは、一応コンサルティング業務を主体とする事だったが、そのやり方は通常のそれとは異なっていた。要は、「HANDS ON」をベースにしていたのである。それは、クライアントと同じ目線で、仕事に当たることになっていた。

その翌日、耕一はかつて常連であった、築地にある小さなスナックに足を運んだ。ここで、ある人物を紹介されたのである・・・・(続)

耕一は、再度、恵比寿のグランスフィアのオフィスを訪ねることとなった。


新田「中澤社長、今日は何とかバッチリ決めたいですね!」いつに無く元気だった。

耕一「何をバッチリ決めるんだ?資金調達はそう簡単には決まらない。ましてや、先方も当方も、未だ面識が浅い。今日は、先方の意思決定のポイントを引き出したい・・・」

新田「でもですね、今日は中澤社長と、本間取締役の最強コンビですよ~!見せてくださいよ!しびれる瞬間を~!」

本間「社長、今日は私は何を話したらいいんですか?正直、どうしていいか分からないです。資金調達なんて、私には無縁ですし・・・」

耕一「いや、本来エイペックスジャパンが持つ独自性の一端を初めて社外にPRするいいチャンスだと思う。本来は、下田さんも同席して欲しかったのですが・・・」

本間「何の話をすればいいですか?????」いつに無く元気が無く緊張しているようである。

耕一「そうですね。本間さんがこれまで生業としてきた、貴重な体験や感を前提に、ご自身を売り込んでください。要は、わが社が、どんな会社か?どんな人材の集団か?をアピールすればいいのです。」

本間「はあ、???」なんとも要領を得ない会話である。それだけ、本間は緊張していたのだろう。耕一は、心の中で、苦笑していた。

一同は、グランスフィアのオフィスに到着した。丁寧に応接室に通された・・・

「先日は、どうも・・・」と耕一は一礼した。「本日は弊社役員の本間も同席いたします。」斉藤社長は「ほう、それは大変うれしいですね。さあ、お掛けください。」

そして、本題に移った。

斉藤「先日のプレゼンを拝見して、是非とも御社とのアライアンスを進めたいと考えています。そこで、当方としては、それなりに色々イメージしているのですが・・・何かもう一つエッセンスがあれば、いいのかな?と考えています。」

耕一「そうですね。おっしゃる通りではないでしょうか?」

斉藤「本間さんは、エイペックスの持つものに付いて、どう考えますか?」

本間「あっ、はい、えー、そのー・・・・・」

耕一「そんなに緊張しなくてもいいから、さっき話したとおり、今日はいろんな意味でのディスカッションだから・・・」

本間「はい、では私個人の意見として申します。但し、あくまでも会社の意見でありませんのでお断りしておきます。実は、今の会社として仕事を進めながら、毎日違和感を感じる事があります。所謂『デジタル』と『アナログ』に付いてです。自分は、もう20年以上、CF(コマーシャルフィルム)の製作一筋でこれまで来ました。典型的な『アナログ』思考です。しかし、中澤社長が掲げる『デジタルとアナログの融合』という意味が全く、実感できません。インターネットを未だ媒体として体験できていません。ですので、自分が今の立場で仕事する事がベターか否か?戸惑う事も多々あります。この、CF製作は人間の信頼関係によって成り立っていると確信しています・・・」

耕一「・・・・」

斉藤「ほう、なかなか面白い意見ですね。しかし、これからインターネットを中心とした『デジタル』ビジネスは確実に伸びます。わが社のグループである『デジタルハリウッド』はご存知ですよね?ここでは、若者の感性がまさに『デジタル』化として表現しています。これは、どう考えますか?」

本間「はい、確かにCG(コンピュータグラフィック)は、最近認知されていますし、それ自体は実態を感じます。しかし、画面の向こう側に温度を感じたりビジネスとして物やお金が動く事によって、自らの生業が直結するとは未だ感じる事が出来ません・・・」

耕一「それは、これからの事ですから、今現状は体感は出来ないですよね?むしろその仕組みを含めて、生み、作り出そうとしているのが我々と考えているのでいるのですが・・・いかがでしょうか?斉藤社長・・・・」

斉藤「・・・非常に有意義な意見交換ですね。いや、御社は予想以上に、興味深い。中澤社長、どうやって人材集めたのですか?・・・わが社にもこれだけの話し合いをしながら仕事を進める人材は、何人居るかな?なあ、片岡君?」

片岡「はい、・・・なかなか居ないですね。」

耕一「いや、身内を晒す様で恐縮です。事前の打合せ準備不足をお見せしているようで・・・」

斉藤「いやいや、こういう状況で、このような話が出来るのはやはり、本間さんの人間性に魅力あるんですかね????」

本間「あっ、いや、すみません。なんか場が読めていなくて・・・自分にもなんだか分からない世界の話が多くてですね、皆さんにご迷惑を掛けているような・・・」

斉藤「そんな事は無いですよ。いや~本日はほんとに良かった。中澤さん、ご返事は今月末までに、ご連絡するように致しましょう。その後で、後日ゆっくり食事しましょう?本間さんも是非、一緒に?」

耕一「はい、有難うございます。ご連絡をお待ちしております。」

本間「今日は、すいませんでした・・・」

一同は、なぜ本間が謝っているのか、きょとんとした・・・それからそのオフィスを出た。帰りのエレベーターの中で、

本間「ハア~・・・・」っと深いため息をつき、「社長、すいませんでした。何かホントに場が読めてなかったみたいで、この話、壊しちゃったんではないでしょうか?すいません。」

耕一「いや、いいんですよ。私は初めて『伝説の男』と仕事が出来たんだから・・・結果は、二の次として、今後はもっと二人で営業に行きましょうよ?どうかな、新田部長!」

新田「はい、是非お願いします。もうバンバンアポイント取りますよ・・・ガンガン行きましょう!」

そうして、一同は築地のオフスに戻った。


1週間後・・・・グランスフィアから連絡が入った。

耕一「そうですか、残念ですが御社のお心遣いは十分に感じました。今後、是非ともお仕事でお付き合い頂ければ幸いです。何とぞ、本間、下田をよろしくお願い申し上げます。ご丁寧に、有難うございました。」と電話を切った。側で聞いていた新田は、

新田「どうでした?」

耕一「残念だが、NGだ。理由は、グランスフィア自体がグループ内で唯一、昨年度赤字決算で、本件に関しては、意見が通せなくてなんとも臥薪嘗胆の思いをしたらしい。斉藤社長自ら、自己資金も含めて、投資したいと突っ張ったそうだが・・・」

新田「か~っ、惜しいな・・・何とかしたいですね?」

耕一「だから言ったろ?資金調達は、簡単ではないよ・・・」

伝説の男は、このエイペックスでは新たなる伝説は作れなかった・・・(終)


2002年1月下旬、『B-Links』の事務所を銀座二丁目にすることにした。


この場所は、インキュベーション(開業支援)を目的としたいわゆるレンタルオフィスであった。ここに、登記移転と同時に占有スペースを確保した。月額わずか、3万円程度であった。
事務所の住所と言うのは、不思議である。「東京都中央区銀座・・・」と言う響きは想像以上に、集客効果をもたらした。なぜなら、それまでの藤本と耕一の持つ人脈に案内や連絡をしたところ、その殆どが『お伺いします・・・』という反応があった。これまで、個人事業主でも仕事が出来ると思っていたが、やはり法人の意義はこれなのか?と認識せざる終えなかった。これがきっかけとなり、耕一は、それまで繋がりのあった広島の「相互企画」との関係も清算した。
前年の年末辺りから、幾つかあった案件が暗礁に乗り上げていたこともあるが、要は「利益貢献」を望まれていたこともあり、耕一と木場は、相談してそれぞれの道を進むべく、それらの契約を終了することにした。

一方、藤本は耕一にB-Linksの事業の進め方について、話をしていた。

藤本「B-Linksは、大きく2つの柱で進めようと思います。それは、私が進めるプライベートエクイティ及びファンドの資金管理による管理手数料で収益を得る部門と、それらの投資先への業務支援及びコンサルティングを請負い、収益を得る部門です。投資先には、条件として当方と何らかの契約を結ぶ事とします。この部分を中澤さんが全て、管理してください。私は、資金の預かり請負いを中心に動きます。報酬は、コンサルティングの収益の4割を私のほうにください。後は、全てお渡しします。」

一見、条件がよさそうにも聞こえるが、要は耕一には、『自力で稼げ』と言うことであった。ちょっと、心情的には納得がいかなかったが、経営的には至極当たり前とも考えられるので、耕一は一応は納得した。それから、人脈を再構築する手段として、様々な業種の人間を一箇所に集めることを藤本に提案した。即座に、実行に移すこととなり、名刺交換会を目的とした「異業種交流会」を企画したのである。第一回目は、六本木の「LoveNet」という個室レストランを主体としたカラオケBoxで開催した。これには、40名以上の出席者があった。

その後、耕一は、かつて常連となっていた築地の小さなスナックで、意外な人物との出会いがあった。それは、その店のママの紹介であった。
ハイデルベルグジャパンの執行役員である穂高氏である。最初、店で話をし、昼間改めて訪問することとなったのである。
耕一は、慌ててB-Linksのプレゼン資料を作った。改めて整理すると何とも貧弱な内容である。どうしたものかと思案した。しかし、必要以上に誇大PRしても意味がないと考え直し、後は自分自身のPRで勝負することにした。今にして思えば、大変幼稚な思考であったかもしれない。しかし、以外にも思わぬ方向に展開するのであった・・・・(続)

耕一と新田が訪問してから2週間後、グランスフィアからエイペックスジャパンへ3名ほど来社することとなった。



耕一は、もしこのような形で資金調達(増資)が実現すれば、ネクサスに対して大きな面子が立つと確信していた。

エイペックスジャパンの会議室では、先日の片岡、斉藤社長、井田取締役と耕一、新田、管理本部長の橋本の6名が打合せに同席した。

新田「本日は、わざわざ有難うございます。それでは、当社エイペックスジャパンのご紹介を、社長の中澤さかさせて頂きます。」

耕一「本日は、有難うございます。弊社にご関心頂き誠に有難うございます。」
  「先ずは、会社概要等々をご説明する前に、現在当社で日本語化を進めているシステム『Parts Explosion』をご紹介します。これは、現在E-commerceでのネット通販において、斬新且つユーザーに大変受け入れやすいものと考えます。」そういいながら、耕一はマウスを動かしブラウザー上に移る図面や写真の一部を簡単に切り取ってバスケット(買い物かご)へドラッグ&ドロップして見せた。先方の3名からは、『ほう・・・』という言葉が出た・・・

耕一「既にご周知の通り、他社で写真画像の色が変わるシステムもございますが、私どものこれは、それとは異なり、ダイレクトにユーザーインターフェイスを実現しております。更に右上にあるバスケットには、決済に必要な情報が格納されており、ページが移動しても引きずるようにして見る事が出来ます。また、最終段階で要らないと思われるものはこのバスケットから取り出してしまうだけで、キャンセルが出来るのです。」

斉藤「中澤社長、これはかなり難しいのですか?」

耕一「いや、DBそのものは既存のエンジンを使っています。それより、今ご覧頂いているページの製作に手間がかかりますね。この画面では、航空機のエンジンの解体図を挙げていますが、一般の通販雑誌のような形になると結構な、製作工程がよそうされます。しかしながら、私のネット通販の経験では、まだ大変めんどくさいですね。何度も入力やクリックを各ページごとに要求されます。決済に行き着くまでに、嫌になって結構キャンセルしたりしますね(笑)・・・」

といいながら、次のセキュリティに関するシステムの説明をした。最後に、某中古車販売会社向けの査定システムも紹介した。

耕一「いかがでしょうか?」

斉藤「いや、大変興味深い。是非、アライアンスを前向きに検討したいですね・・・」
井田「そうですね。しかし、会社概要も含め社内での検討が必要ですので・・・」

耕一「そうですね。では、橋本より会社概要に関して説明させてもらいます。」

橋本「はい。では・・・」とぼそぼそと10分ほど説明した。相変わらず、営業出身ではない彼は、無愛想なしゃべり口調である・・・時折、耕一が補足をしつつ、何とか終わった。

斉藤「冒頭のシステムはまだ、どこも採用していないのですか?」

耕一「はい。ご検討は頂くのですが・・・従量課金でシステム構築費用を払いたいと言われるケースが多く、今の段階では弊社がそれでは受けきれない状態です。共同事業として、初期投資をご検討いただければありがたいのですが・・・」

斉藤「それは、増資でも可能ですか?」

耕一「はい。正直申しまして、スタートしたばかりで実績と費用は不足しております。どのような形でもご検討いただくのであれば、柔軟に考えたいと思います。」

斉藤「わかりました。本日は、大変面白いものを見せていただきました。ところで、御社のスタッフはどのような方々ですか?」

耕一「一応、技術部、営業部、製作部、管理部に分かれております。技術部を取り仕切る下田と製作部を取り仕切る本間が同席できなくてすみません。これらは、それぞれ、デジタルとアナログと切り分けて考えており、これらの融合により弊社の独自性を築こうと考えております。」

斉藤「ほう、是非その方々にもお目にかかりたいですね。再度、来ていただけることは可能ですか?」

耕一「はい、分かりました・・・」

ようやく2時間程の打合せが終わった。

その日の夕方、新田のところに片岡から電話があった。

新田「中澤社長、かなりいい感触らしいです。是非、増資にこぎつけたいですね・・・」

耕一「そうか、分かった・・・」

それから3日後、再度グランスフィアを訪問することになった。(続)