耕一は、かつてのデジタルカラープリンタ業界とのつながりであるオフセット印刷を中心とした、商業印刷に注目する事となった・・・・
耕一は、とりあえず、3ヶ月の期間限定で、ハイデルベルグジャパン(HJP)からの指示による印刷業界向けの消耗品販売部門立ち上げに関わる市場調査と事業計画案の立案と言う事で、水谷との交渉をまとめた。
しかし、いきなり市場調査といっても、何を起点に進めるか?まずこれを探り出すのに、約2週間かかった。その間、耕一は大森にあるHJPに終日、常駐し社内で可能な限りのデータに目を通した。元々、この企業の前進は、30年以上前から存在し輸入商社であった。ビジネスの起業の商材は、「黒鉛」(材料)であった。戦後の復興から、経済成長とともに、「鉛筆」の需要が増え続け、第一次の波が来たのであった。この企業は、これらで第一次の基盤を築いた。その後、幾つかのビジネス展開を進めつつ、ようやくヒットし始める商材が見つかった。これが、ドイツに本社を持つハイデルベルグ社の印刷機であった。経済復興と共に、必ず比例して伸びる業種がある。どうだろうか?・・・・そう、IT(情報技術)産業である。言い換えれば、当時のIT革命は、紙媒体を中心とした新しい印刷技術に他ならないのではないか?品質の高い、低価格の印刷(成果)物が大きく需要を伸ばし始めたのである。そう、まるで携帯電話が売れているように・・・当時、経済成長と共に、出版は伸びたはずである。学力社会で、より一層、出版物の需要が高まった。
そんな中、ハイデルベルグの印刷機は、まさに「ベンツ」的存在であった。当時を知るカスタマーサポートのベテランが、こう語った。
「当時は、本当に良く売れた。しかも1円も値引きもせず・・・ドイツを出荷する前に半金回収して、日本に着いた時点で、残金を回収し、客先での設置は、ものの半日で適当だった。だが、当時のその印刷機は今と比べ物にならないほど、実に優秀で、大して調整もしないで、動作確認のまま2年間くらい、一度も故障せず動いていた。当時は、それが、当たり前だったわ。ホンと逆に楽だったわ。客からは、待ち焦がれた機械が来て、最初の試運転の際に、歓声が上がるくらい、感謝されてたわな・・・・最近では、さっぱりだけどね・・・・」
そう、当時、国産の印刷機はやはり未だ技術が未発達だったのだったのだろうか、その当時は欧米からの輸入品の機械類は、かなりの品質に開きがあった。
それから、数十年・・・・いつの間にか日本は、経済成長と共に技術革新が進み、世界の水準に肩を並べるに至った。それは、機械だけではない。電子・電気、化学・材料・医療・食品・・・・あらゆる産業分野においてその成長、成熟の度合いは、いつしか欧米人が勉強しに来るまでになった。・・・
さて、耕一の進める市場調査は、基本的ではあるが、これまでHJPが日本市場にどのような印刷機械を何台、何種類、どのくらいの期間で、販売したか?また、現在、稼動している印刷機は何台見込めるのか?この情報を整理しようとした。・・・
しかし、整理されたデータは何処にも見当たらなかった・・・・
製品群別の部署のトップに聞いても、不明・・・全国にある各営業所に聞いても、不明・・・はて?どうしたものかと・・・仕方なく、過去のデータの打ち出し(印字)したものに目を通し、簡便的なDBを作り、今過去のデータを流し込んで、様々に分類し、ようやくぼんやりと見え始めた数字があった。更に、耕一は先の生え抜きの現場の担当から聞き取りをしつつ、そのデータと照らし合わせていった。
徐々に、市場の全体像がぼんやりと見え始めた・・・・耕一は、このデータから、本来の目的である消耗品を分類・抽出し、HJP製の印刷機で、推奨または、多く使われているサプライヤー(メーカー)と直接話をして、状況の把握に専念した。以外にも、まとまったデータはなかなか存在しないのである。耕一は、どうにも納得がいかない・・・そこで、水谷に頼んで、実際にクライアントの現場に出向いたのであった。・・・