起業から、経営者へ、そして・・・ -17ページ目

起業から、経営者へ、そして・・・

スレッドの書き込み、楽しみにしています。

耕一は、小田の存在で、その活動を幅広く広げることが可能となった・・・

既に、クライアントであるHJPに対しても、基本契約以外の提案が出来る機会が増え始めた。また、この機会に以前、耕一の元で営業部長であった、新田が努力の末か?小さなシステムハウスの社長に成長していた。そして、耕一の提案する改善システムの請負をしてくれたのであった。

HJPでの業務遂行から生まれたそのシステムは、3つほど生まれ全て、新田の会社で請け負った。総額は数百万に上った。

それからは、HJP以外でも耕一がコンタクトする先々で、新田の会社のPRも加えることとなった。

企業というのは・・・・

本当に、難しいものですね。

先日、請負の仕事であるベンチャー企業の社長と話を何度かしましたが・・・なんともはや、・・・
大変若さのある、バイタリティもあり商才も優れています。が、・・・・
これまでの、ビジネスでの生い立ちが影響しているのか????
人間性は、かなり歪曲しているようでした。いわゆる、対話にならないんですね。
一方的かつ、威圧的なその言動は、その場の空気が険悪になってしまうケースが必至です。あまり、気持ちいいものではないです。
せめて、言動は、紳士的であって欲しいと願うばかりですが・・・

よく、新進のベンチャーの経営者には、それなりの人脈が付きます。ただ、その付いた人間が、本当に信頼に出来るか否か?見極めるのは、大変難しいものです。
客観的に見ていると、利用されてるに過ぎないことも多々あります。また、走り続けるベンチャー企業は、落ち着きが無い空気が24時間流れているようです。これも、ある意味、企業体としての大切なDNAの一部だと思います。とにかく、イケイケでは、目標も、達成感も無いまま、精神的な浪費だけが先行するようです。

加えて、IOP(株式公開)を目指すのであれば、360度の視点から、その意義や、リスクに対して検討し、対策を講じつつ、進めていく必要もあると思われます。
ここで、取り上げて何かしらの良し悪しを語ると言うより、問題は以前にも綴ったことがあると思いますが、「企業や組織は、社長の身の丈以上にはならない」と言うことではないでしょうか?

しかし、商売においては「赤字=悪」といいのも真理です。

つくづく、企業のあり方を考えさせられる昨今です。

小田尚美に対して・・・

耕一は、どう指示するか?思案した。最初は、彼女がどの程度、何が出来るか?見当がつかないので、手元にある資料の整理、作成の手伝いから進めることにした。
予想以上に、オフィスワークにおける作業が出来ることがわかると、徐々にそのレベルを上げていった。


組織と言うのは、いわゆる個人の集まりであるが、3人以上になると最低限のルールは必要になる。2人であれば、ルールと言うよりは、確認だけである。


その後、小田は耕一の指示でLinkPartyやクライアントへの同行もした。行く先々で、小田は、そのルックスで好評を得た。また、おとなしい性格でもあり、相手に対しての反応も問題なかった。
耕一は、思った以上に「増員」の効果を感じた。

耕一は、わずか3ヶ月で・・・

月額の売上を300万円に安定させた。物販ではないため、毎月固定の金額が収益として入ってくるのである。これに比例して仕事量は増え、面談する相手の数も多くなった。

一方、藤本は何の売上も無く、ただ毎日午前中は、新聞を見て夕方になると耕一が一旦オフィスに戻るのを待っていた。そして、ミーティングと称して、毎夜、食事に付き合わせるのである。支払いは全て、耕一であった。

そんな中、面接した小田尚美と短期間で契約することにした。あまりにも耕一自身の周りの瑣末なことが多く増えたため、どうしてもヘルプが必要になったためであった。ただ、社員として、責任を持てるほど自信がなたったため、とりあえず契約での派遣とした。


耕一は、一応は本多女史の提案を検討してみることにした。

本多女史のアレンジで、一回目の面談をアレンジされた。耕一は、あまり気乗りがしなかったが、一応会って話を聞いてみることにした。

ある日の午後、銀座のオフィスのオープンスペースで、耕一は小田尚美と面談した。耕一は、最初の第一印象でドキッとした。それは、彼女が170cm以上の長身だったからだ。しかしながら、気の弱そうなその話の内容には、いささかがっかりした。30分ほど話を聞いて、その場は終わった。

本多「中澤さん、どうでしたか?彼女は、悪くはないですよ。元々、メーカーのコールセンターで仕事していたから、PCは問題ないでしょうし、見た目も悪くないでしょ?」

耕一「そうですね・・・2~3日考えさせてもらえますか?」

本多「わかりました。本人にも伝えます。ただ、あまり、引き伸ばさないで下さい。駄目なら、他を当たらなければならないから・・・」

そうして、耕一はしばらく考えた。そう、今後B-Linksをどうするか?今のところは、何も計画性を持っていなかった。とりあえず、自身で可能な限り、動き、クライアントも捕まえ始めていた。
耕一は、藤本に相談した。すると藤本は「いいじゃないの?雇えば?」なんとも、無責任な発言でる。そう、この状況において、B-Linksのクライアント、売上、財務、全て一人で回していた。よって、実質的には耕一が経営者そのものであった。藤本は?と言うと、何も貢献利益が無く、名ばかりの社長であった。

実は、耕一はこの事に頭を抱えていた。何とも、言いようが無かった。しかし、これが後々耕一の左右することになるのであった。

耕一は、いよいよ自身のビジネスのスタイルを意識し始めていた。

HJPをはじめとして、徐々にクライアントからの安定収益が確保でき始めた。一番大きかったのは、HJPとF社との定期売り上げで300万円を超えていた。更に、エイペックス時代につながりのあった社外の人間からも、相談を受けるようになった。

中には、中堅どころのVCから投資を検討している企業について、事前調査と訪問インタビューへの依頼等が舞い込んできた。同行訪問の前に、可能な限りの公開情報や、市場に連動するキーワード等をポイントに、投資の判断材料として必要な情報の精査をしていた。
耕一は、訪問先で説明する相手(殆どが、社長だが・・)の話を聞き、いくつか質問をした上で、後日、VCへ報告書をまとめた。結果、VC側は、投資を最終判断する材料に耕一の報告を待った。中には、投資にNGが出る場合もあり、耕一は「なんとも複雑な心境」となった。

一方では、ある知人を通じ、新規事業の説明を受け、その事業の立ち上げについて何とか力を貸してほしいのと並行して、資金の調達も依頼された。耕一は、VCだけではなく、企業内部にある投資管理部門へ訪問し、交渉を代行した。そのうちの一件で、独自性の強い案件を、外資系半導体メーカーに持込み、米国本社決済までエスカレーションするに至った。しかし、そう簡単に話が進まないのが『資金調達』である。残念ながら結果はであった。

しかし、このような話が徐々に増え、物理的にも多忙な状況が増え始めた・・・最悪なことに、ダブルブッキングも頻繁に増え、業務遂行上の支障をきたしていた。そんな中、銀座のレンタルオフィスの社長である本多女史から、ある提案があった。それは、彼女が経営する会社では、業務委託・人材派遣・秘書代行等もやっていたので、いづれにしても人手を増やせばどうか?との話があった。耕一は、即答はできなかった。というのも、過去の苦い記憶は未だ色あせておらず、法人としての今のB-Linksを組織化するか否か?また、雇用するか否か?・・・(続)

HJPの話と並行して、別のクライアントの話も進行していた。

それは、耕一がエイペックスジャパン時代に、ネクサスから出向で来ていた社外役員であった、川越氏から声がかかったのである。その話は、某大手企業が数社出資による合弁のジョイントベンチャー企業(F社)において、山手線を中心とする広帯域ネットワーク(光通信によるブロードバンド)インフラの事業を展開する企業であり、これにまつわるインターネット上の大掛かりなサイト構築である。ここでのクライアントは、大手B社で新規事業展開の第一段階として、動画配信のサイトを構築する案件であった。コンテンツは、認知度の高いアニメーション等である。

他社に先駆けて、B社はインターネット上での対戦型ゲームも展開していた。案件である、動画配信サイトはB社の子会社であるS社がそのコンテンツの殆どを所有し、10年以上の根強いファンを持つものであった。折りしも「IT化」の波に乗って、これまでの媒体とは異なり、インターネットを媒体としてそのコンテンツの新しい販売の形を模索していた。

具体的な仕事としては、この大型サイト(ポータル)を構築するに当たり、ディレクター的役割を果たす業務であった。ここに当たる人間は、案件の完了時まで、このF社に常駐であり、かなりのハードワークが予想された。

耕一は、この案件を獲得する為に、幾度と無くプレゼンと打合せを重ねた。併せて、常駐可能な有能な人材を獲得し、当てる事も進めていた。何とか、話がまとまったのは、安藤というかつて広告製作・代理の会社で営業していた人間だった。彼は、過去に10年以上、ペンタブレットで認知度の高いW社のPRを一手に引き受け、担当していた。当然、広告媒体としてのホームページサイトの構築も熟知していた。
安藤は、非常に真面目で几帳面な正確でありかつ、営業としてのセンスも兼ね備えていた。
耕一は、何とかこの話がまとまれば、法人としての事業実績も積んでいける事を見込んでいた。そして、それは予想通りに回り始めた。

結果、短期間のうちに大企業2社との契約をまとめ、事業がスタートし始めた。タイミングと運が良かったのは言うまでも無いが、いわゆるコンサルタントとしての形が出来上がりつつあった。

少し前後するが、これらの話が形になるまでに、当時、高額だった携帯電話料金を低価格に実現する為の携帯電話ツールも手がけていた。これは、短期間であったが売上としては、まとまっていた。

徐々に、「クライアント」と商売を形にしていくにつれ、耕一には多少の自信が戻ってきた。また、「どうして、エイペックスの時に上手くいかなかったのだろう」と考えるようにもなった。

とりあえずは、文無しの状態から多少の現金収入の道筋が見えたのである。(続)

先に、前振りをしたが・・・

マーケティングには、360度の視点と解釈それに伴い、無数の手法があると考える。
よく、欧米理論の「MBA」なる資格?タイトル?がもてはやされることもあった。最近は、あまり耳にしないが・・・いずれも、日本社会では企業文化の中で受け入れられやすい表現かもしれない。

しかし、元を正せば何から生まれているかご存知だろうか?そもそも、「マネージメント」の発端は1970年代のベトナム戦争においてである。それは、予測不能な状況下において、計画の実行と自身の生命の確保を常に考え合わせた場合、「指示」が無意味となったからである。つまり、現場において当事者が、「ベストの選択」が常に出来るように考え出された理論である。よって、理論先行では、何の意味も成さない。俗に言われる「コンサルティング」はどうだろうか?

結果として、依頼したクライアントにとって、実りある成果が得られているだろうか?疑問は耐えない気がするが・・・・・

マーケティングなる言葉の独り歩きも同じではなかろうか?概ね「MBA」の資格保持者は、現場を知らないことが多い。また、顧客を知らないことが多い。数字だけで、判断することも多々ありうる。どちらも重要である。そして、一番忘れてはいけないのが、「クライアント(顧客)の利益」である。この議論は、尽きない。それぞれの立場に主張が絶えない。

先に掲げた、マーケティングのカテゴリーにおいて、一般的には広告・宣伝が先にたつ場合が多い。この前提は、単対多(One to Mass)である。よって、その目的の殆どは、「存在の認知」でしかない。ここには、顧客の個別の感情などを受け止める要素は少ない。しかし、数年前から単対単(One to One)の理論が横行している。これに伴い、個人情報保護法も生まれたと思われるが・・・
この本質は何か?それは、強いて言うなら「アフターフォロー」である。これが成功すると「再来(リピート)」が実現する。個人・法人にかかわらず、全ての業種・業態において、結果としての成果を残せているのは、その現れであろう・・・

ただ、日本市場独特の、アパレル業界における「ブランド」認知と市場の動きは別のものがあるように思われるが・・・

この内容は、また時期を追って、加筆してみたいと思う・・・(続)


結果、耕一はHJPの現状を数字として把握することが出来た。


耕一が拾い上げた数字とは?・・・・・

HJPが過去20年以上にわたり、日本市場に出荷・設置した印刷機の台数は1700台以上に登り、現状稼動しているクライアント数は、約300社強であった。さらに、出荷した全印刷機の内、4つのカテゴリーに分けられ、台数としては、圧倒的に2色及び単色の印刷機が過半数を占めた。現在の市場は4色(カラー)が殆どである。だとすると、過去の顧客との関係は一体どうなっているのか?

明らかに、アフターフォローがなされていなかった。これは、営業的な部分である。メンテナンスの必要があるときには、当然対応していた。これには、市場の認識と変化が大きく関係ある。

先に、述べたとおり発売当初の機会は、大変高品質・高性能であり、サービス・保守の必要性があまり無かった。しかし、多機能・高精度になるにつれて、その質は大変ナーバス(繊細)となり、調整や、サポートが不可欠となっていった。これと平行して、元々日本市場での「保守・サービス」に対する認知度は「無償」であった。よって、高価な設備投資をして、「面倒見てくれるのは当たり前」というのが顧客の意識である。しかし、時代は変化し、商品価値とは別に「安心・安全」のサービスを商売とする意識改革が始まり、現在では「保守・サポート」は単独で十分な商売として確立している業界もある。

心当たりは無いだろうか?その昔は、商品ブランドで、購入意思の割合が多くを占めていた。しかし昨今は、購入前に、現在使用しているユーザーの声(情報)が得ることが出来る時代である。つまり、顧客の購入意思決定の際に、多くの情報入手が独自になされ、比較検討も含め、販売する側以上に情報を得ていることが多い。よって、購入後のアフターケアの部分の充実度が意思決定の割合を大きく変化させている傾向にある。

HJPも例外ではなかった。過去には、「ハイデルベルグ」のブランドの機械で、印刷の仕事さえも獲得するのに有利であった。しかし、現在ではその機械は、高価で高品質ではあるが、比例して運用・維持(ランニング)コストも高い。よって、青果物としての印刷物も高くなるという意識が一般的となりつつあった。これは、車で言うベンツと全く同じである。目的を果たすのであれば、日本市場には様々な商品が犇めき合っている。そう、印刷機器業界も全く同様であった。

ここで、耕一はHJP社内での聴取において、「営業」と「サービス」部門との隔たりを垣間見た。ただ、この会社、業種に限った話ではないが・・・
そこで、先の数字を元に更に、1台当たりの年間のランニングに使用される部材等を抽出し、印刷能力、売上規模から、おおよその平均値を仮定するに至った。これにより、課題である「消耗品販売」部門の初期段階での事業計画の草案が固まりつつあった。それによると、立ち上げ計画時期の設定に関わらず、初年度~5ヵ年計画を作成し、初年度は、最低4.5億円・・・・5年後には約30億円の見込みが見えてきた。当然、裏づけとなる数字と事業として実行可能なものを精査した上である。

2002年3月初旬に、耕一は最初の事業計画を水谷氏に提出した。幾度か、打合せ、修正の後、最終内容が完成した。その結論は、日本市場での新規部門設立・実行を進めることを前提としていた。

やはりというか、やっぱりと言うべきか・・・


連日、報道のトップに上がっている「GW」の介護ビジネスの現場での実態が問題視されているが・・・・

そもそも、「介護」がビジネスとして収益を生む事のお題目を掲げる事が間違ってはいないだろうか?「介護」はあくまでも「ヒト」の力に依存しているのである。収益を上げるには、投資金対効果ならぬ、投人材対効果が最も分かりやすい計算ではなかろうか?ここに、税金(介護保険料・・・いつの間にか天引きされているが・・・)が絡み合い、当然のことながら誰が考えても既得権益や、利権が背景に無いわけがないと思われる。

さて、果たしてGWのOG氏は、あっさり「全事業の全面撤退」を表明し、表向きは「責任逃れ!」とか「ビジネスモラル」を疑問視しているが・・・実態はどうか?

あくまでも、私の個人的な憶測でしかないが、現時点でOG氏が全マスコミの袋叩きに遭い、表面上、ボロボロになって、朽ちていく様を一身に集め、この問題を終わらせようとしているのではなかろうか?なぜなら・・・・そう、その背後にうごめくものは、決して世間に晒されてはいけない、タブーな領域で、これらを死守しなければ、OG氏自身も存在が危ういのではないか?かなり、ミステリアスな気がします。でなければ、あのカリスマ的ベンチャー起業家が、あんな冴えない姿で、マスコミに出ると思いますか?また、こんな間抜けなスキャンダルで、自ら侮蔑される為に、マスコミに出ますか?・・・果たしてその背後は・・・大変知りたいですが私もネタが無いです。恐らくは2チャンねんるのどこかにあるかもしれませんが・・・

さて、本題に戻って、この事業を全面的に身請けする意欲を見せているW社ですが・・・いいんですかね?本当にこんな事で・・・そもそも論として、ビジネスとして、利益追求するから、おかしくなるのでは無いでしょうか?

まあ、いずれにしても大型国政選挙が近いと、想像外の事件やスキャンダルが起こりますね。これに便乗して、身の程知らずが、YMパパ氏!ナンですかあのアホは!全く持って、宮崎県人の恥さらしですね!せっかく東国原知事のおかげで・・・と思った矢先・・・ホントーに馬鹿がアホかぶって、チンドンややってるようなもんです。それを公認する民主党も、まさにノータリーン!

そろいもそろって、アホばかり!!!

絶対に、YMパパには投票しないでくださいね!貴方の日本人の品格を疑いますよ!

(ちょっと、過激な発言だったかしら・・・・)