事業  その4 & 資金  その3 | 起業から、経営者へ、そして・・・

起業から、経営者へ、そして・・・

スレッドの書き込み、楽しみにしています。

第一回目の第三者割当増資は、8月末までに何とか実現できた。集まった資金は9,600万円。株価は30万円であった。新たに株主となったのは、NIFベンチャーと三井住友中央アセットマネージメントが主だったところだった。これに、エイペックスジャパンの関係者数人がエンゼルとして入った。耕一にとっては、初めての経験である。ほっと息をつきたかった。しかし、ネクサスからは先の米国エイペックスへ支払っている3億円のライセンス料は、貸付として切り替えられ、これを返済するように通達された。いきなり、負債である。これに加えて、1999年12月末と2000年3月末にその金額が2回に分けて支払われた際に、税法上の不手際で、新たに6,000万円が上乗せされたのである。このうちの1,500万円は還付請求で戻ることになっていたが、期末の2001年3月まで戻ってこない。これら全て、親会社が立て替えた。この多額の金額が動いているうちに、ネクサス本体も窮地に追い込まれ始めていた。というのも、「光ショック」の余波がまともに襲い始めた。金融機関からの圧力もあり、状況は更に悪化していた。ただ、詳細は耕一にもわからなかった。毎日のように、大阪から電話が入った。加えて、他の役員が連絡も無く頻繁に来ては、嫌味の一つも言って帰るのである。じわじわと、いたぶられている気分である。(もっともな話ではあるが・・・)



耕一は、何とか新規の受注を獲得すべく奔走した。ネクサス、金融機関から色々紹介された企業にいち早く赴き、営業活動を続けた。しかし、時期早々だったのであろうか?エイペックスジャパンの提供するものに興味は持ってくれるものの、導入に至るには敷居が高かった。その反面、活動資金までも逼迫し始めた。ネクサスの大阪本社で毎月開かれる子会社と役員会との合同会議では、耕一は剱山上での正座であった。月次決算の指示であったため、数字のチェックも大変である。経理担当はヒステリックを起こし、時には期限どおりに書類があがらない事もあった。このころから、社内の空気も少しよどみ始めた。



そんなある日、ソフトエンジニアの矢沢(女性)が耕一のところにやってきて「社長、上手くいきました。ありがとうございました。」と明るく報告に来た。耕一は、「んっ?そうか!上手く言ったか!よかたな!」と笑顔で返した。それは、1ヶ月ほど前に矢沢が耕一に相談を持ちかけてきた。「私、若気の至りでろくでもない相手と一度は結婚しました。でも、今はシングルマザーなんです。一人娘は来年中学なんです。母と3人で暮らしているのですが、何とか家がほしいんです。どうしたらいいですか?自分の家を持つのってどうしたらいいんですか教えて下さい!」と真剣なまなざしで見つめられた。耕一は、半年前にマンションを購入したことを思い出して「分かった、じゃ一般的な知識だけなら教えてあげるから・・・」と物件のことデベロッパーと不動産会社の違いや金融機関との関係などなどを経験を元に話をした。矢沢は耕一の話を聞いて「自分でも家を持てる気がしてきました。がんばります!」と言い残してから・・・今の報告である。

耕一は、心からほっとした。何かひとつでもいい。この会社で頑張る気持ちや夢を実現させることができるのであれば、それは会社にとっても大きな進歩だ。むしろその前向きなエネルギーを会社の原動力としたい・・・と考えていた。