一般的には、株式公開時の企業で「管理本部長」というキャリアであれば、それなりに信用度はある。よって、何の既成概念が無い状態では、普通に付き合うものであろう。
藤本氏は、耕一に「もう宮仕えは嫌になった。何か、会社を興して商売したい。」と漏らす事しばしばであった。次第に、藤本氏は耕一と組んで何か仕掛けたいと言う意志を前面に押し出してきた。耕一は、戸惑った。広島の件も含め、自分の中の整理が出来ていないが、自分に立ち止まる事を由としなかったゆえ、様々な事を受け入れようとしていた矢先であった。
藤本は、手始めに知人との繋がりで面識のあるある会社の社長に耕一を引き合わせた。銀座一丁目の小さなオフィスビルの一室であった。挨拶の後、食事に行こうと銀座に出た。それなりに豪華な食事であった。しかし、中身の無い話に感じた。
次に、引き合わされたのが、良く素性の知れない外資系のVCであった。聞くと、日本では、その本人だけが活動しているという・・・「一体ナンなんだろう?」と耕一は思った。
そして、次にNEPで繋がりのあった、中谷氏を紹介された。携帯電話向けのシステムやアプリケーションを開発しているとの事であった。
何やら、良く分からない状況で、藤本氏の持つ個人会社を山口から東京に移転し、再稼動させる事となった。社名も改め、事務所も立ち上げた。この事務所は、殆ど固定費がかからない仕組みで、「レンタルオフィス」を契約し更に個室も確保した。登記住所、事務所ともに「東京都中央区銀座・・・」のブランドには少し、驚いた。しかし、一体何を「商売」とするのであろうか?・・・藤本と耕一はそれぞれに、動き、週1・2度ほど打合せを重ねていった。