1月4日、長谷社長は社員24名の前で、年初の訓辞を話し始めていた。
「皆さん、昨年までは本当に有難うございました。おかげさまで何とか年を越えて、今日ここで新たな年のスタートが迎えることが出来ました。幾つか、お話したいことがあるのですが、一番最初に会社としての方針をお伝えします。それは、この会社を立ち上げてから5年目を迎えます。これまで事業の中心であるEasyCDCreatorの商品も円熟期を過ぎ、次世代のDVDへの対応を迫られています。併せて、昨年から着手しているプリントソリューション事業も何とか見通しが立っています。これらを考えた時に更なる事業拡大なのか、事業転換なのか、未だ未知の部分もありますが、本年は当社としてIPOを目指すこととします。」
一同は、ポカンとした。「IPO」って・・・そう、株式公開である。
耕一と下田は、顔を見合わせ焦燥の色を隠せなかった。と言うのも、彼ら2人が現在すすめている新規の案件は、事業を立ち上げることともに、IPOする事が最大のミッション(役割)であることを間接的に和田氏から伝えられていた。2人は、一瞬見透かされていたかのかと焦ったのである。耕一は、この瞬間に自分へ一つの決断を下した。「やはり、退社して新規の事業に賭けよう・・・」と。元旦からいつ最終決断するか考えていたのである。一聞、長谷社長の話は良い話にも聞こえるが、耕一は全く逆に理解していた。と言うのは、長谷社長がIPOに見合うほどの経営者かどうかを見切っていた。
長谷社長はその後、ありきたり話を続け朝礼が終わった。
ちなみに、この会社は2人が抜けた後、多額(総額9億円以上)の第三者割当増資により資金調達をしたが、豊満経営(長谷は、人材を集めるのが好きでかなりの増員をした。)結果、6年後に上場企業にM&Aと言う形で吸収され、長谷はその会社で取締役となることは、誰も知る由も無かった。経営者と企業の規模、文化、金銭感覚は見事に反映されるものである。また、経営者本人の持つ若年時代の経験と記憶が、たまに見え隠れし、それが方針の一つの根底に流れる何かがある。
例えば、長谷の場合、学生時代、友人が多くその輪の中にいた経験が無いのである。ただ、勤勉に自分の決めたことにはまっすぐに突き進んできたのである。よって、自分にカリスマ性を醸し出したいために、ひたすら「いい人材」を集めるのは好きだったようだが、人材を生かすことは極端に下手であった。
社内で、実績を上げた者と上げられなかった者に対する差別的言動は、稚拙であった。これに伴い、その責任の押付け方は目に余るものがあった。
耕一は、現実にその様子を隣の同僚で目の当たりにしていた。
企業は、やはり経営者の器、人格で大きく変わるとよく言われるが、過去に改めて尊敬できる経営者は、落着きがあり、物静かであることに変わりはない。
朝礼の後、耕一は社長室を訪ねた。長谷に辞表の意向を伝えるためである。長谷は、引きとめはしたものの、即座に無駄だと判断したのか、了解した。
それから、耕一は新規事業の調査検討を続けていた。出社はするものの、これまでの一切の業務を止め、ひたすら「APEX」に関するビジネスの可能性を考えていた。ある、一つの光明を見出し始めていた。
それは、先の市場データにおいてPCの普及率とインターネット接続率などとは別に、ストレージ、サーバ関連のデータに目を見張っていた。ネットワーク(WAN/LAN)が拡大するにつれて、表面上には全く見てない部分である。とかくITと言う言葉の代名詞にはPC(パソコン)が上げられるが、インターネット上でビジネスを考えた場合、PCより「サーバ」が大変重要な事に気づいたのである。
例えば、PCの出荷台数予測の向こう3年の伸び率20%前後、インターネット接続加入者数の伸び率30%前後、よりも高い伸び率を示していたのが、「サーバ」の出荷台数予測であった。これは、60%以上の高い伸び率を示していた。これは何を意味するのか?
提示された「APEX」の事業内容としては、
1.インターネット上におけるHP等のホスティング
2.HP・ECサイト等とそれにまつわるシステムの構築
3.ライセンスビジネス
が主なものであった。特に、一部であはあるが米国での特許を申請しているものもあった。それは、特別なソフトウェアを使わず、ブラウザーのみでECサイトにおけるユニークなインターフェイスがあった。
これは、市場で認知されればかなりのインパクトがあると考えられたが、果たしてビジネスとして拡大できるか否かが分からなかった。耕一は、先の「サーバ」とこのインターフェイスを一緒に考えてみた・・・「そうか!」一つだけ気づいたのである。インターネットの接続率が上がり、PC若しくはそれ以外からのアクセスが増えた場合、最初に通過するのは「サーバ」である。このサーバがどのような役割を果たすか否かによって、インターネットビジネスの様々なスキームが構築される。今、目の前にある「APEX」のビジネスのネタは、まさしくサーバに仕掛けをしておいて、構築するものである。すなわち、PCだけでなくインフラだけでなく、サーバとその内部に置くシステムそのものであれば、今後まだまだビジネスの広がりを見せるあずである。要は、「APEX」はミドルウェアとインターフェイスの組み合わせのシステムである。サーバの増設は、このAPEXのビジネスチャンスの拡大に直結すると考えたのである。
2000年1月22日・・・
耕一は、グレッグ、和田氏とともに大阪農人町に向かった。そこは、光通信の中で筆頭子会社「ネクサス」であった。光通信と言えば、その営業力が評判で、IDOの携帯電話販売や、ビジネス向け電話機器の販売で売上・収益ともに好調の追い風に乗っていた。当時、未公開株にもかかわらず1株価格が600万円まで高騰していた。この追い風に併せて第三者割当増資とは別に、金融機関から約40億円もの資金融資を取り付けていた。この資金は、更なる事業拡大、新規事業展開の資金として用意されたものであった。
オフィスに入る前に、1階のカフェで1時間ほど待たされた。それからネクサスの役員会議室に通された。そこには、15人ほどのが待ち構えていた。耕一は、息を呑んだ。珍しく緊張したのである。奥から「じゃ、早速はじめてくれ」と声がかかった。耕一は、用意していたノートPCをプロジェクターに繋げ、説明を始めた。インターネット業界の現状や、媒体の視点から見たインターネットの位置づけ、そして今回のAPEXのビジネス展開における可能性をプレゼンした。15分ほどで話し終え、照明がつけられた後、一番奥に座っていた物腰の柔らかい男が「で、事業資金はいくら要るかな?」と耕一に質問した。「一応、PL試算だけではありますが、当初5000万円からスタートで計画を立ててみました。」と耕一は、別の紙を渡した。
すると、「わかった。じゃ、1億円用意する。新会社を作ってくれるか?」と訊かれた。耕一は、耳を疑ったが「はい。そのつもりでお話をさせていただきました。」「他に、ご質問等はございませんでしょうか?」と応えた。「いや、別に無い。(左右を見渡しながら)なあ、問題ないよね?APEXは進めるで。」と一同を制止するかのように話をまとめた。この人物こそ、ネクサスの社長、白木氏であった。その横には、山木常務、高山常務、ほかネクサスの経営陣がいたのである。
耕一は、一種にして両足が浮かび始める感覚を覚えた。「いったい、どういうことだろう?こんな話の運びで、1億円もの金が動くのか?これは、現実か?夢か?」何度も、心の中で繰り返していた。横にいた和田氏が「有難うございます。」「ご紹介してよかったと感謝しております。」と白木社長に満面の笑顔で答えた。
「それでは、今日のところはこれで終わりにしよう。後日、追々連絡を取りながら進めるということにしよう。」この場を離れ、3人は東京に戻った。