1999年12月某日曜日、・・・耕一の自宅では朝からばたばたとなにやらあわただしかった。実は、耕一はこの年の10月に晴れてマイホームを手に入れたのだった。小さなマンションではあるが、自分でも不思議なくらい金融機関の審査が通り、家族が喜ぶ笑顔も見れた。そこで、知人を集めてお披露目とクリスマスパーティーと忘年会を兼ねてホームパーティーを企画した。
声をかけたのは、下田夫妻と、妻の同級生(デザイナー)、それに松田(耕一、下田も周知の取引先担当営業)、それに中澤家である。丁度、14:00くらいから始まり、にぎやかに飲んで食べていた。耕一もほろ酔いで、上機嫌だった。
ここで、耕一の長男の勝が、手品の出し物をして、皆を大いに笑わせてくれた。」
暫くして、耕一は、下田と松田の2人を書斎に呼んだ。
耕一は、下田と目線を合わせ確認して、口を開いた。「実は・・・」耕一と下田の下には、先の鎌倉で会ったグレッグ氏から新規ビジネスのキーワードとなる情報だけ連絡をもらっていた。既に、インターネット上でアクセスして覗いてもいた。
「松田さん、実は俺たち2人は、近々今の会社を退社しようと思う。というのも、未だ定かではないが、某スポンサー企業のもとで出資を仰ぐ会社で仕事をしようと思う。今のところ、実質的にマネージメントの取りまとめ役として私が動くことになっているが、もしその時期が来たら一緒に仕事してくれるかな?」と伝えた。
松田は、「えっ~、本当ですか?それって、起業すっるってこと?」と驚いた表情で返してきた。「そうだな・・・下田と二人で水面下で動いてみているんだが、どうやらまやかしでもなく、実態として資金付けもある話を確認できたんだ。」と耕一が言うと、下田が「まだ、ビジネスとしての内容が実態としてよくつかめていないのですが、案件の話の方向としては実態があると判断しています。」
しばし沈黙の後、松田が「分かりました。そのタイミングがおっしゃるとおりであれば、是非お世話になります。ただ、簡単には今の会社を辞めるのは立場上難しいので、何かしらのスケジュールが見えれば具体的に動けるのですが・・・」と言った。耕一は、「そうだな・・・それは今の時点では年明けにしか見えないな。」と返した。「出来るだけ早めに具体的な状況を伝えよう。」と3人はうなずき、皆のいる部屋に戻った。
この日の2日前に、耕一は、グレッグ氏と面会していた。この際に、和田という人物も紹介された。年齢は耕一より2つ上であったが、広告製作会社の社長をしているということで、それなりの雰囲気があった。和田が言ううには「今回のスポンサー企業の社長は、大変スピード感のある人だ。気後れしてはだめだぞ!」と・・・。
その後、グレッグ氏、和田氏と3人でと西新橋にある小さな事務所を訪れた。PEJという名の社名であった。そこの代表者である馬場社長をグレッグ氏と和田氏に紹介された。馬場社長は、以前は光通信がIPO(株式公開)当時の常務取締役であり、現在は顧問となり、投資家向けのコンサルティング事業をしている人物であった。顔は穏やかだが、目つきは鋭く、「君は、年はいくつだね?」とたずねられた。「35歳になります。」「そうか、いい年齢だな。わしは、君の年のころには、3日3晩一睡もせずに仕事をしとった。君は、出来るか?」耕一は「はい、今も同じような環境にいます。」と答えた。
「ところで、こういう会社を知っているか?」と一枚のコピーを渡された。それには「APEX Interactive」とトップに記載してあり、その場で見る限りの文面では、インターネットに関する内容であることは分かった。耕一は「いや、知りませんが・・・」馬場は「とにかく調べてみて、どう思うかレポートしてくれ。今日は、これで時間が無いからまたな・・・」とわずか5分ほどの話で終わった。耕一は、唖然とした。いったい、鎌倉での話といい、ここでの話といい、本当に「起業」の話は実態としてあるのか?虚像なのか?・・・
その後、和田氏とグレッグ氏と打合せをすることとなった。グレッグが「和田さん、今日の馬場氏の雰囲気だといけそうですね?」すると和田が「そうだな、恐らく問題ないだろう。」耕一は、いまだに理解できない・・・するとグレッグが耕一に「恐らく、これで第二段階の面談は終わった。今日話のあったAPEXについて話があがったのは、関係者を除いて初めてだから、馬場氏は進める腹だと思う。」耕一は「そうですか・・・」「そこで中澤さん、APEXについて調べてレポートしてくれるかな?今年ももう2週間も無いから、正月明け早々にお願いしたい。」とグレッグから言い渡された。「分かりました」耕一はうなずいた。
この翌日、和田氏から耕一の携帯に一報があった。それは、昨日の馬場氏との面談の件で、ほぼOKだから、よろしく頼むとの旨であった。耕一はそれを下田に伝えた。下田は「どうやらスポンサー資金を獲得できそうですね。そのAPEXとやらとにかく調べてみましょう。」耕一は「そうだな。」「下田、もし可能ならこのAPEXの内容を計画書に落とし込む作業を年内にやらないか?」「そうですね。そうしましょう。2~3日あれば何とかなるかもしれませんが、元ネタになる情報を集めましょう。」と下田はにこやかに言った。
それから、1999年は2人にとって不安よりも期待を膨らませて終わる年となった・・・