今日もカンカン照りの大阪。
夕立が数分だけ・・・
圧力鍋みたいな暑さになりました。
・・・(;´Д`)
昼に子供達とご飯に行って、和やかに味わって帰って来たら、なにやら神妙な面もちの友人が玄関で待っていました。
・・・はてさて
σ( ̄∇ ̄;)
たとえば、医学的な死因に借金も貧乏も無い筈です。
ただ、そういう原因から絶望して・・・という構図かと思います。
その構図も、未だ無い場面と言葉で自らが構築してしまうのでしょう。
(´・д・`)
言葉・・・
私は生まれながらに致死性の病気がありますし、医学的には生まれる確率も0だったし、今まで何度も死にかけて、3度程死亡通知も作成されましたから・・・去年も1枚増えかけたなぁ。
血肉が滅びる事には、あまり・・・というか、全く抵抗感はありません。
・・・それでも、なかなか三途川は渡れないものです。
Ψ( ̄∇ ̄)Ψ
が・・・心を殺される事には、徹底抗戦の構えです。
心を殺す凶器は・・・大概の場合"心無い言葉"です。
心無い人は言葉で心を折、心を殺しにきます。
・・・では、どうやって対抗するのか。
勿論、好き勝手で稚拙な相手なら、徹底的に理詰めで追い込む事も手段の一つです。
が・・・
ここで、仏説をひとつ。
釈迦が仏教を開き、人々の尊敬を集めだした頃・・・
1人の男が毎日の様に釈迦の前に立ち、有らん限りの罵詈雑言を浴びせました。
それは、何日も何回も続きます。
嫌がらせをすれば、きっと釈迦も口汚なく言い返してきて、普通の人と変わらない本性を現すだろうと思っての行動です。
毎日毎日、何度も何度も・・・
しかし、釈迦は静かに笑みをたたえ、反応しようとしません。
やがて、男の方が疲れ、体調不良に見舞われ・・・
木々の中で静かに瞑想している釈迦の下へ行き
「どうしてお前は言い返さないのだ!」と、フラフラになりながら怒鳴ります。
釈迦は初めて、男の言葉に応えます。
「貴方が誰かに贈り物をしても、それを相手が受け取らなかったら、その贈り物は誰の物になりますか?」と。
男は言います・・・
「相手が受け取らなかったら、持って帰るしかない。」と。
釈迦は・・・
「そうです、相手が受け取らなかったら、贈った者の物になるのです。」
「貴方が私に贈った罵詈雑言を、私が受け取らなかったから、貴方の物になったのですよ。」
・・・その理に納得した男は、弟子になったそうな。
d(>∇<;)
心無い言葉を吐く者の心は、そういう言葉を吐き出したい程に荒んでいるのだから、それ即ち不幸の真っ只中という証。
相手を同じように苦しめたい、悲しくさせたいと思う行動。
故に・・・受け取らない事もまた、抗う手段の一つです。
o(*⌒O⌒)b
言葉とは不思議なもので、一つの物事でも太平洋のように大きく深く感じさせる事も出来ますし、洗面器のように小さく浅くも感じさせる事も出来ます。
相手が自分であっても、他者であっても・・・
心を尽くし、感じとり慮りさえ出来れば、希望という閃光を放つ事も出来る。
だからこそ、心を失えば・・・自分や他者を殺す程の凶悪な武器ともなる。
両刃の剣・・・
ただし、自分や他者の笑顔を感じられれば、誰しも嬉しくなるもの。
自分や他者を苦しめても・・・なんの楽しみが得られようか。
(/´△`\)
だからこそ・・・
自らの心を養い、折れない心を鍛える。
艱難辛苦汝を珠とす。
誰かと笑顔を分かち合う為に。
o(^@ω@^)o