世界を変える必要なんてない | No Border 生きる。ベトナムで。

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自分は自分でしかない。 I'll be there.

大きな志をもって「世界を変えよう」と意気込んている人に賛美を送る風潮があるが

本当にそうだろうか。

 

最近なにかのニュースでビル・ゲイツの現在が紹介されていた。

スキャンダル(それが事実かはわからない)で離婚し、子供も独立し孤独に苛まれていると。

 

Windowsで明らかに世界を変え、ダントツの世界一富豪に上り詰めた人でさえこうである。

もちろん、世界を変え、資産も豊かで、絶頂の幸福に身をおいている人もいるだろう。

でも、例えばアリババ創業者のジャックマーにしても目立つことで阻害され、ジェフ・ベゾスも離婚し

資産分配(それでもTOP層にいつづけているが)することに、うUBERの創業者も悪者扱いにされ、

日本で言えば孫正義だってちょっと業績が悪くなれば叩かれ、同じように芸能人も日々の生活に

支障がきたすほどに監視される。

 

本当にそれは幸せだろうか。個人的にそうは思わない。世界を変える(実際に変えた)人自身は

幸せなのだろうか。そうは思えない、という人が相対的に多いと感じる。

 

前回の記事、小さい組織>大きい組織 でも書いたが有名になれば、規模が大きくなれば

関わる人が増える。上場すれば株主がいるし、社員も増える。そうすると段々

コントロールできなくなってくる。周りの人の顔色を伺いながら生きることになる。

仮にそんなのを無視して自分の好きなように生きても周囲の評価は違う。

そしてそんな世界では周囲の評価が全てだ。そしてネガティブの側面を叩かれ

自分の死後もずっとネット上に醜態を晒すことになる(家族は大変だ)。

 

幸せになることだ人生の一番の目的だ。世界を変えること?自分や家族、

大切な人が犠牲になった上での幸福は幸せとは言わない。それは自分勝手な自己満でしかない。

 

個人的には、まず自分、そして家族、大切な人が幸せになることが一番で、それを実現するために常に

コントロールできる範囲で生きること(ここでも小さい>大きいが成り立つ)が大事だ。

 

決して大風呂敷をしかない。目立とうとしない(心のなかで思うのは自由だが

周囲に言う必要はない)。

 

自分はここベトナムという場所が人生の大半を過ごす場所だと確信している。

長期的に住むことがわかっているからこそ、時間をかけて地道に価値を作っていける。

誰かに任せるのではなく、自分が作っていく。そして家族もここにいる。それが自分にとっての

幸せであり、同時にコントロールできる生き方だ。

 

周囲に惑わされずに、自分の核を明確にし、大事に守って生きていきたい、と思う年の瀬である。