人は生まれ刹那に生き、死に腐っていく | No Border 生きる。ベトナムで。

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自分は自分でしかない。 I'll be there.

最近下記のテーマで書籍や動画を見たり実体験を通して思うことがある。

 

・新生児の生きる姿

・生活保護者の末路

・特殊清掃業者の話(死体場所の清掃など)

・宇宙の壮大さ

 

地球60億年の歴史、そして200億年後に消滅するという壮大な

世界観の中で、人の歴史は圧倒的に身近くさらに己の人生などその中の

たった7,80年に過ぎない。

 

奇跡に近い確率で地球が誕生し、これまた奇跡のなかで生命が誕生した。

誰もが、1人では生きていけない状態で生まれ、成長し、死に死体は腐って地または天に還る。

そうやって息づいては死に繰り返し歴史が刻まれていく。

 

2ヶ月半前に子供が生まれた。動物の本能でもがきながらミルクを飲む。

何もできず喚く。喚きながらうんちをする。そこにあるのは命の煌きだ。

自分自身、祖父のことをあまり知らない。でも祖父の代から父へ、そして自分へ。

そして自分から息子へ、そしていつか息子からその息子(孫)へ。たった四代でも

たかが300年ほどだ。でも300年のときは重たい。宇宙の歴史の中で刹那のときだとしても。

 

何がいいたいか、よくわからない。

でも、言えることは細かいことは気にしないで、今を生きよう、ということ。

 

大丈夫、歴史やこれからの未来を創る一端を自分は担っているけど

結局自分自身がどう人生を楽しむか、送るか、これに尽きる。

いつかすべてのもの(地球自身も)尽き果てる。それが自然の摂理なら

怖がらず、楽しんで生きよう。そうしたものだけが今という時を幸せを

最大限享受できるのだろう。