少し遅れたけど、今年で3.11から10年が経った。
あの日のことは忘れないし、今後も忘れることはないだろう。
内省、という意味も込めてこの10年でどう自分が変化したか振り返ってみる。
2011/03 - 2011/08
エスワンオー勤務
インターン開始から約半年間の勤務。短かったが
仕事の基本、ベンチャーで働くこと、そして都心での1人暮らしなど
得たものが多かった。が苦々しい思い出として残っている。
2011/9 - 2011/10
ベトナムに行く前のクラブネッツでの研修。2,3週間は大阪でもおこなった。
早くベトナムに行きたくて研修自体はあまり身になってなかったように思う。
大阪のコテコテの営業はこうゆうものか、と身をもって痛感した。
2011/11 - 2013/08
ベトナムで勤務開始。初海外のベトナムで本当に何もわからない中で
新生活を開始。2年弱で結果は出せなかったが、少なくとも自分には
海外で生きるほうが合ってると感じた。同時に日本人としての
アイデンティティが見栄え、俵屋玄兵衛での仕事に繋がっていく。
2013/9 - 2013/10
香港での研修。ベトナムは合っていたが香港は発達しすぎていたし
妙に湿度が高く人が多いため、体調を崩しながらの研修だった。
代表の人間性や仕事の進め方は非常に勉強になり今の自分の
やり方にもつながっている。
2013/11 - 2018/03
台湾へ。会社設立から始まり事業を軌道に乗せるまでを経験。
単月黒字も(当時は)果たし初めて1つの結果をだせた。ただやり方は
結構力業で、俗人的な要素が強かった。もっと仕組化して再現性を
持たせることが必要と感じ、次の拠点へ移籍志願。
2018/04 - 2018/08
次の移籍先(当初は長野の自社農場で働くことも考えたがほぼボランティアで
体調も引き続き悪かったため断念)が見つからず日本で約半年過ごした。
正直、ちょっと鬱っぽくなっていたように思う。ベトナムの話がなかったら
日本で就職し、メンタル的にも危なかったかもしれない。ギリギリのところで
ご縁をいただき5年ぶりに再びベトナムへ。
2018/09 - 現在
ベトナムで俵屋玄兵衛の立ち上げ。方法は台湾の時と変わらないが
大きく違うのが、ローカル色の強いチームということ。日本語が話せるのは1人のみで
他はベトナム語オンリー。ただ人材マネジメントよりもまだ発展段階のベトナムで
事業を大きくすることは非常に困難で、台湾の時は大きくやり方を変えて試行錯誤。
再現性をもたせる、という意味では同じ方法論では通じないが、抽象度をあげて考えると
いかに事業を大きくし、黒字化し、健全に運営していくか、というヒントは得られているように
思う。個人的にずっと続いていた謎の体調不良も少しずつ回復しているように思う。
という感じで、この10年で仕事をした国は
日本→ベトナム→香港→台湾→ベトナム と割と多くの国に行ったと思う。
ただ30代を超えて、今後はそこまで大きな移動はしないだろう。
次の10年は変化幅という意味では小さいかもしれない。ただ人間としての成熟度は
より深く、あるべき姿になっていてほしい。
いずれにしても、先をあれこれ考えず、毎日を楽しむ。
この思考で生きていきたい。