誰と多くの時間を過ごしたかが全て | No Border 生きる。ベトナムで。

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自分は自分でしかない。 I'll be there.

年内最終日のこの時間(17時過ぎ)にこれを書いているが

幸い(?)にもまだ仕事納めしていなく、夜にお米が到着するため

また精米所に行かなくてはならない。恐らく年越しは初の会社で迎えるということに

なりそうだ。

 

さて2年ちょっと前にベトナムに移り住み、1年前に結婚したことをきっかけに

よく考えるようになったことがある。それは「幸福の尺度」について。

何をもって幸福と言えるか、人それぞれだろう。ゆえに自分自身が幸福と感じていれば

それ以上言うことはない。ただ明らかに自分は以前(3,4年くらい前)の自分よりは幸福と

言えると思う。

 

話が一旦それるが、最近Youtubeなどで「月収〇〇〇万円!」や投資で「×億円稼ぎました」

などという内容をたまに目にする(Twitter見てると自然とはいってくる)。

お金は大事だ。間違いない。ないよりあったほうがいい。高級車を買う。大きな家を買う。

ブランド物の服を着る。旨い飯を食べる。どれも幸福感を満たすものだ。

 

今の自分には、大きな資産もないし、周囲が羨むような仕事の成功もしていない。

だから上記のような人を見て「いいな~」とは正直思う。特にそれが知り合いなど近い人なら

尚更だ。ただ、それでも今の自分の状態は非常に幸福だと確信できる。

 

それはなぜか?自分で言うのも恥ずかしいが「妻と出会ったから」だ。

語弊を恐れずに正直に言うが、妻は容姿端麗ではない。資産家でもないし、思ったことをハッキリ

言いすぎることも多々ある。それでイライラすることもある。

 

ただ明らかに自分に持っていないものを持っている。それは「天性の明るさ」だ。

辛い状況にあってもポジティブ思考で、誰に対してもいつも同じ対応をする。そして家族を何より大切にする。

 

妻と知り合って約2年になるが、この2年で自分もだいぶ変わった。

昔の自分が戻った気がしている。うまく説明するのが難しいが、幼少のときは

思い切り笑い、変な気を遣うこともなく、忖度もせず、あるがままに毎日を楽しんでいた。

お金がある、ないは関係ない。どんな家に住んでいようが、どんな食事をしていようが家族と一緒に

過ごすのがただただ楽しかった。その感覚が今戻ってきたように思う。

 

ゆえに、今の自分は以前より幸福だと感じるのだろう。

 

今年(2020年)は多くの有名人が亡くなった。そして自分の割と身近な人の死もあった。

死んだあとは、どれくらい資産が残っているかは自分自身には無意味だし、この世に対して

何を成し得たかも正直無意味だ。だとすれば、もっとも価値があるのは「誰と多くの時間を過ごしたか」

であると思う。今の自分は最も価値がある日々を過ごせていると確信している。

 

そんなことを思いながら、夕ご飯を食べ、2020年の仕事納めに行ってきます。