only the paranoid survives | No Border 生きる。ベトナムで。

No Border 生きる。ベトナムで。

自分は自分でしかない。 I'll be there.

密かにロールモデルにしているマザーハウスの迫さんのブログより引用。
(http://blog.livedoor.jp/shun964/archives/2009-02.html)
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何人かの人はご存知のとおり、私は非常に欲深い、なにかというと楽をしたがるセコイ
快楽主義的な人間でして(笑)
そんな私は安定した環境にいるとおそらく駄目になってしまうわけですね。
高校卒業までほとんど勉強という行為をしたことがなかったことからも分かるように、
基本的に意思が弱いし、飽きっぽいし、エゴが強いし、反抗的だし、興味や意味を
感じれないことはできないし、なにかと哲学的なもっともらしい理 由をつけて
「しょうがないよ、だって人間だもの」的なロジックで押し切ろうとする節があるからね(笑)

そんなわけで、この段階で海のものとも山のものともつかないベンチャー企業に
移ることは非常にリスクなわけで、そうやってリスクを取ることで意識的に自分を
追い込むようにしている。もうこうなったら自分を成長させないと本気で未来がない
わけだから、死ぬ気で頑張るしか道はないよね。そういう緊張感 のあるチャレンジングな
環境というものは、私のような弱い人間にとっては非常に重要なんですね、たぶん。
まあそのリスクの代償ももちろん発生するんだが。


今現在、自分自身や自分のやっていることに対する自信は多少はあるのだけれど、
しかし同時に自分に対する不安と不満も常に感じている。このままだ と自分は終わり
だというある種の恐怖を常にリアルに感じている。まあ食いっぱぐれることはたぶんない
とは思うけど、そういうレベルの話ではなくて、自分の 尊厳をどこまで保てるか、
どこまで向上させ続けられるか、という話。
そういうparanoidな部分が自分の知的欲求や成長欲や好奇心の源泉なのだと思う。
これってバウマンのいうところの、
「近代性とはとりつかれたような前進ー. つねにもっと欲しいから、ではなく、けっして充分
に得ることができないから。 ... 前進は続かなければならない。なぜなら、
たどり就いたどんな場所も一時の停留所にすぎないから。」
そのまんまなわけだが、まあそれもそれで良いかと最近は思う。
実際この現代社会はその近代性をベースとしたシステムとルールによって動いている
わけで、その社会システムの中で生きるにあたって、「とりつかれ たような前進」を
行うことは間違いではない。そのような生き方を「手段に過ぎない」と意識さえしていれば、ね。
要はそれをいかに上手く使いこなせるかが問 題なわけだ。

そういう生き方って、まあ負の側面もあるのだろうけども、それ以上の刺激や楽しさと
充実感を得ることができると思うってことで、そんな paranoid的生き方は当分続けていく
のだろうと思う。畢竟、life is just a storyであって、そのstoryは日々自分で紡いでいく
ものだから、いかに面白くするかは自分次第だし、世の中に色んな小説があるように、
色んな storyがあっていいと思うし、そのほうが多様で面白いよね。 実際、魅力的なstory
を持っている人と接するのは楽しいよね。

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非常に、非常におこがましいのですが迫さんの性格的なタイプが僕と非常に似てて
このうえない共感を覚えます。

自分は弱い人間。それを素直に認めてどうするか。
今ひたすら考える続けている毎日です。