No Border 生きる。ベトナムで。

No Border 生きる。ベトナムで。

自分は自分でしかない。 I'll be there.

ある著名な方で飲食業界で成功されている方の本をKindleで読んだ。

 

自分も会ったことがある人で創業当時からわりと身近にみてきた

ということもあり、そのリアルな大変さをまじまじと感じ、

同時にやり切って規模拡大をし続けていることは

素直に凄いなと思いながら読んだ。

 

ただ同時に感じてしまったことがある。

「世のため、地球のため、お客様のため」と強く思いながら

やればやるほど本当にこの方自身は幸せなのだろうか、と。

 

その本にはその方自身が今幸せに至っているかということは書いてなかったから

実際は知る由もない。ただ、読んでいて少し苦しかった。なぜか自己を犠牲にして

やっているようにも感じてしまった。

 

過去にこのブログでも書いたことがあるかもしれないが、なによりもまず

自分が幸せにならないといけない。そのうえで家族、周囲の人、そして対外的な

もっと広い範囲でのお客さん、そして地球、環境などより大きな視点に至る。

 

また、ちょっと関連したことでいうと

 

「規模が大きいほどより多くの人に価値を届けてる」

 

これは間違いない

 

ただし

 

規模が大きい = より尊い、素晴らしいもの

 

ではない。規模が小さくても、大きくても尊さ・素晴らしさは同じだ。

自分はそう思う。

 

例えば地域でやっているお弁当屋さんは半径200m圏内のお客さんが

ほぼ100%だとした場合その圏内以外の人にはかかわっていない。

でも、このお弁当屋さんの尊さは例えばユニクロと同じである。

むしろ、1人1人のお客さんに届ける価値の濃度は、お弁当屋さんのほうが濃いだろう。

 

規模が大きくなるほど、トラブルも多くなる、人のマネジメントも大変になる。

それは自明だ。

 

そして、「大変なことも多く、人のマネジメントも大変だけど規模を大きくしてる」

と言われても「頑張ってるんだな」とは思うが、トラブルが多くなるのは

まあそりゃそうだよな、と思ってしまう自分がいる。

それを見越したうえで規模を大きくしてるなら、そのトラブルをことさら公に主張する

必要はないかな、と意地悪な自分が思ってしまう。

 

結局、価値観に行き着くのだろう。

自分の場合、組織を大きくし過ぎない。自分の目でほぼすべて見える

範囲までしか大きくしない。それは社内もそうだし、お客さんも。

あくまで自分の場合はそのスタイルが好き、ということ。

 

どうしても、規模が大きいほどフィーチャーされるし目立つ。

でもその素晴らしさが規模が小さい事業と比べて大きいわけではない。

どんな規模であれそれを求めるお客さんに対し誠心誠意価値を届ける、

そのありかたに優劣はなく、どれもみな同等に素晴らしい。

 

そして、当の本人が苦しそうに自己犠牲でやるのは絶対に違う。

順番はまず自分が第一優先。そのうえで周りを幸せにする、

という順序が必須。それは今後も意識していきたい。

 

 

 

昨日で38歳になった。

 

ちょうど今日メッシが38歳(まもなく39歳になる)がW杯初戦でハットトリックを

決めるのをTVでLIVEで見ていた。

 

この年齢でそもそもサッカーをまだやっていることが異常なのだが

W杯でハットを決めるのは年齢という概念の根底を覆す気持ちになる。

 

幸い自分は家族がいて、特に子供の成長を見ていると相対的に自分も変化していると

感じられるので毎日に飽きないでいられる。まあ約1年前に起業したのでまだまだ

やることは盛りだくさんで飽きようにも飽きれないのだが。

 

20代の頃のような無茶して突っ走る感覚はないし、30代前半の時のような

ちょっと世の中が分かった風で生意気に根拠なき自信を空回りさせていた感覚も

今はない。変なプライドはないし、というか持つと正直疲れるし自然体で

自分の家族や事業と向き合い、その中で無理ない範囲で毎日を歩むことにしている。

 

とはいえ、37歳の一年間は心情的にも怒涛の揺れ動きがあり辛い時期もあった。

事業に向き合い続け、ある種殻にこもっていた。

ただ38歳は、少し落ち着き、外に目を向けベトナムの国外にも足を伸ばしてみようと

思っている。

 

ここベトナムで生活できていることを当たり前に思わないようにしたい。

家族や周りの人に感謝し、未だにアウェー感はあるがその中で楽しみを見出し

自己の外に視線を向けることを意識する一年にしたいと思う

100%自分がオーナーである会社を起業したのは何より自由を得るためだ。

自分は仕事において納得のいかない決定の上で仕事をすることを極端に嫌う。

 

だから自分ですべてリスクを負ってやることで自由を獲得できると思っていた。

 

”いた”と過去形にしているのはまだ確信が持てない仮設なのだが

結局、100%オーナーであっても完全に自由になることはできないのではないかと

最近思っている。別にそれが悪いことだとも思っていないが当初とは異なる

未来が待っている可能性がある、という点は今から認識しておくべきだろう。

 

というのは、自分は特段事業を必要以上に大きくする気はない、という点から

起業をスタートしている。もちろん食っていくために漸次的成長は必須だが

例えば売り上げ100億を目指していない。社員数も最大10人程度を想定している。

 

自分とスタッフと、そして自分の周りで関わる人がそれなりに豊かで(単に金銭的

という意味だけでなく、時間や自由、意思決定などマクロな意味で豊かであること)

ある人生を送ることが目的だからだ。

 

ただ事業成長に伴い、関係者も自然に増え外部の目を気にするようになる。

なんか窮屈に感じるようになる、そんな瞬間が訪れる可能性もわりとあるのかなと

思っている。

 

自分の内面の成長に伴い、そして周囲の変化に伴い考え方も変化していくだろうから

そこまで憂いはないのだが、なんでもかんでも自由なんてことはなくある程度の制限が

ある中での(いや制限があるからこそ)楽しみや、やりがいを感じることに

繋がるのかもしれない。

 

目的(Goal)は決まっているのでそこに至る手段は別にこだわらなくてもいい、

多少予定と違っても楽しめばいい、そもそもベトナムで生活している時点で

自分が能動的に取り組めば楽しめる要素は無限大にあるのだから。

 

と、完全に内省的な内容になってしまったが今の心境を書き綴ってみた。

5年後、10年後、20年後、どんな心境になっているだろうか。

37歳(まもなく38歳)時点ではこんな風に考えている。

これは自戒も込めて。

 

起業して、100%オーナーの会社だから正直好き放題できる。

しかし、だからこそ”ルールを作り規律を守り運営していく”必要性を強く感じる。

その中で、無駄だと思う忖度や気の遣いは排除する。自分が嫌いだからだ。

 

だが、友達同士の集まりではない。ダラダラ too muchなカジュアルさは不要だ。

 

ルールがあるほうが、ストレスがかかると思われがちだが長期的には

ルールがあるほうが、”楽になる”。 これは全社員にとってそう。

 

一方

 

最初こそ規律が守られていたが徐々に崩壊していく組織もある。

売り上げが上がっているときは1,000歩譲ってしょうがないにしても

(本当はそれが終わりの始まりなのだが)

管理者のモラルが破城し、それをみたNo2が自分もその程度でよいのだと

勘違いし、結果社内の雰囲気がどんよりしていく。

なんとなく日々の業務は遂行されていくが、危うさは蔓延し一度問題(ヒビ)が

入ると一気に崩壊するパターン。

 

これは海外のみならず日本でもあることだが、ここベトナムではより顕著に

なっていくだろう。キーパーソンが抜け、さらに組織の崩壊は加速していく。

 

その根本要因は「モラルがない」ことだろう。

現地はもちろん、株主も見て見ぬふり。わかっているはずなのに手が打てない。

そうやって組織は腐っていく。

 

自社の場合、妻がNo2で第一の壁として立ちはだかり、TOPの自分が徹底した

規律を構築、日々のオペレーションに組み込む。

なによりも自分の会社だからこそ、誰よりも自分に厳しくやっていく。

起業して約10か月。まだ1年も経っていないが現在の状況は

起業時に予想していた事業計画を有難いことに上回っている。

 

そして来月から年末にかけてさらに大きく伸びることがほぼ確実に

なっていてそれに合わせて売り上げだけでなく利益でも伸長することが

見えている状態になっている。

 

正直、起業してから2か月間は絶望だった。

当初見込んでいた飲食店への営業がまったくもって空振りに終わり

自分たちのお米を使っていただけることなったとしても非常に低価格

つまり粗利がほぼない状況で、まさに薄利”超”多売にしなければ

日々の食い扶ちも稼げない悲惨な状況だった。

 

「ああ、これはマズイな・・」と頭が痛くなる日々が続き

事業パートナーである妻との関係も悪くなっていた時期があった。

 

ただ、そんな中でも粛々と目の前の営業やご縁をいただき

お客様を増やしていった。途中問題は多発し、いや今も毎日のように

発生してるし、資金繰りは相変わらず厳しいが当初見込んでいた数値より

遥かに良くなっている。

 

何が言いたいのかというと、未来のことは当然予測し計画を立てるべきだが

必要以上に悩んでも意味がない、ということ。たいがい、未来は良くなるものだ

という根拠のない、楽観さをもっていい。そんな気がしている。

 

まだまだ自分たちへの見返りはほぼないが、1年後は今とはまた違った

光景を目にしているだろう。

 

そんな妄想をいただきつつ、今日土曜日も粛々と仕事に打ち込む。