あるがまま を許す

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前回のブログに

"激動が落ち着いた"

と書いたら

"まだまだ"ってな勢いでやって来た(笑)



まだあった"エゴの執着"(笑)

まあ、薄々感じてたけど・・・

嵐のような週末

破壊と創造

その繰り返しが宇宙

留めることなどできないもの

そう思っていても

事が起きている最中は

解放せざるえないモノもあるんだよ

抑えきれない感情

それになんだか

殻を破れ破れと

後押しされているような(笑)

リブログ祭り♪ ゲラゲラ




それにしても

破壊発生時の乗りこなしかたも

次の創造のストーリーへの展開も

なかなかプロフェッショナルな域に

達してきたのではないかと思う

今日この頃・・・


ほ~んとに

何もかも

自らが創造したもの

"これだけは違う"

"これだけは特別"

そんな想いがまだあった・・・

私のストーリーは

わりと良くできたシナリオで

"まさか!"


"執着"

に気付きへの道程は

かなりドラマチック(笑)な仕掛けになってる(笑)

ドラマチックに崩壊出来るように

その場所を選んできたかのように

その崩壊の少しあとには

"こうなることはわかってた"

したり顔でそんなことを言う自分と対談している(笑笑

恒例だ(笑)


私の究極の執着は

"エソテリックやオカルトな事" への拘り

だと思う

そんなことをずっとしていたい
もっともっとと求める気持ちと
思ったほど楽しくないガッカリ感

満足する何かをその方向に求め続ける

大体は過去に得意だった事をしたがるんだ

ヒーラーとか占い師とか・・・

絶対、そうでしょ?って思うの(笑)

過去世は関係ないとアドバイスする当人が過去世を生きている

私も離れても離れても気付くとそこに戻りたがってる

やりたいことをやればいいけど

なんか、絡まってる感じ

もう、どう進むにも一旦リセットしないとどうにもならない


それに、そもそも、
エソテリックは日常なんだから(笑)
渇望しなくても良かった(笑)


ほら、だって、創造してる


創造した神も

創造したマスターも

その時の私のステージでの演者

もう

次のステージ

次のストーリーに入ってるのに

旧いステージの演者に執着して手放してなかった


それを"強制的"に終わらせる為に
大きな崩壊が起きた


随分前に

サニヤシンの枠は外したと書いたけど

そこには過去世の因縁が沢山あったから

離れがたいという変な執着が隠れていて

あるトレーニングには参加を続けていた

それは、すでに後半であと数回で終了

そんな状態

それに

そのトレーニングは少数で行われていたから

途中で止めるということが

どれだけ周囲へ迷惑かける事になるのかと

想像するとだったら憂鬱さを感じながらも

自分を誤魔化しながらも参加しているほうが

楽だと思ってた

でも

身体をその場所に留める事だけで精一杯

心の中では

なぜ、続ける!
もう、全て終わっているだろう!

自分と自分の戦いが始まる

そんな闘いの最中に声をかけられた
アナタをここに来させているのはなんなの?
トレーナーの問いかけだった


当然の問いかけ


私の意識は外に出たがり

トレーニングに参加しようとする意思なんて

全く、全くない

全身から反抗するようなエネルギーを発してる


言葉での返答より先に出てきたのは

苦しい感情とそれと涙だった

涙はとまらなかった

その後にやっとでてきた言葉は

・・・ここに、いたくない
みんなが怖い・・・

本当にそこにいたくなかった

またアトランティスの記憶を掘り起こすような光景

今は関係ない!と思うように

切り替えようとしても出来ない

前日に前世退行などのワークをしたせいもあり

恐ろしさがリアルる感じる

思考と身体は感じるものが違う

思考はなんとかこの場に留めようとするけど

退行した前日の夜からおかしくなってた右半身

右足に力が入らなくて立てなくなったり

右脇腹から広がる痛みは打撲したような感じ

留まろうとするほどに痛みは増してくる


周囲は受け入れられない疎外感から

その場を去りたいと言っているように

思っていたようだけど
(だから、優しかった)

その時はどう思われていようが

構わなかった

何がなんでも

逃げ出さなければといった想いの

強さにはもう逆らえない


そして

外に出た

暖かい日で

太陽に照らされた

緑の葉の透明感に心奪われた


大袈裟だけれど

囚われの身から解放された

そんな感じだった


そしてトレーニングには

戻らない選択をした

勿論、感情まかせではない

ちゃんと理論整然と説明が出来る

そうして

その上で終わらせた

偽りなく想いを伝えれば

それは伝わるし

伝わらなかったとしても

誠意ある態度をとれば

自分に後ろめたい想いを持つことには

ならないだろう


自分を騙さない
自分を信頼する
自分を大切にする
自分に自信をもつ


全てはそこから

それを改めて体験した

これは

誰が

何が

悪いのでも

間違っているのでもなく

私自身が

自分を解放する

自分は自由なんだということを

体験する為のストーリーと

その演者がいただけのこと

ただ、それだけのこと

そんな体験の後に
この本を読む

中で

"境界性人格障害"

というものを知る

統合失調症を含む精神病と神経症の境界にあたる状態

内省的で自己分析を好んでする

ここまでは「えっ?私?」ってなった(笑)


けど
ここから先が全然違った


「見捨てられること」に敏感に反応し

空虚感、抑うつ、怒り、

孤立無援感、自暴自棄などの感情を持ち、

それを緩和させるために

周囲の人々に援助、愛情を渇望する。

酷くなると自殺未遂などもあるようだ


う~ん、
この酷くない状態の人なら
いっぱい知っている気がするだが・・・

自己分析だらけのFeedで埋まった
Facebookは一時期見る気にもならないものだった

で、ここからは私の個人的な考察になる(笑)

それと、まあ、愚痴

私はコーチングが大嫌いっ!

なのでそれを愛してるとか仕事の人は読まないで

コーチ被害に会いやすい私の愚痴なので


認められたい願望やそんな感じが強すぎて

強迫観念のように感じられ

そこから逃れようとする過程で

如何に役立つ人間かを証明する為にも

自身の混乱を治める為にも

コミュニケーションについて学び出す

それが(何故か)コーチングを学ぶ流れのよう

∞∞∞
これ
昔も流行ったけよな~
その頃やってた人が
また教えるんだろうな
リバイバルなのかな

あの頃はビジネス系だけど
今は精神の方まできてるのが厄介
∞∞∞

最初は自身の為
そして段々
世の混乱を納めたい欲求を産み出し
他者を導きたい欲求を表出させる

・・・そんな、気がする・・・


ふぅ~

前回のブログには

「・・・されたい

を書いたけど

これはプラス

「・・・したい

それも相手が絶対に必要な欲求・・・

「救いたい」そう思う現実が
「救われたい」そう思う人々を増やしていく
混乱を創造しているのは誰なのでしょうか?
という問いはこういった問題に付いて回ってる


確かにある面からは
素敵な理論や思考方法ではあるのだけど
それは個人に留めておいて欲しいものだ


おばけ
洗脳、宗教となんらかわりなく

事実
コーチング組織に宗教組織が絡んでるものもある

更にそこに
エソテリックに分類してもいいであろう
ヒーリングを行う組織まで加わって

今は
色んな組織が生き残りをかけて変幻自在
おばけ


なにより
それらに傾倒してしまっている人は
普段のコミュニケーションがアレだ


意識的か無意識的かしらないけど
台本片手に読みながら

「私はあなたの話を聞きますよ」

といった態度になってるので
"イラっとする"事がある(笑)


私は構えなく
普通にコミュニケーションをしてるんだけどな
ラフな、ナチュラルな

頭の中の思考の様が丸見えなのは
私のせいだから(笑)仕方ないけど(笑)
「その思考、よく、整理整頓されていますね」
って感じでロボットみたい(笑)

∞∞∞
古くから色んな洗脳方法があった
最初から支配の為ではなかった
けど洗脳が洗脳をよぶ
∞∞∞


私個人は

コミュニケーションを
マニュアルに則るように
仕向けるのは自然に反している

正しい反応?
正しい在り方?

反応はLiveで変わる


と思っている

そこで自分も他者も傷つけるような
事態が生まれるとしたら

それは
コミュニケーションの手法の間違いではなく
もっと、もっと、
深いところにある何かなのではないのかな

正しいって?
正解って?

色々いるから、色々生まれる
差異があるから、動きが生まれる

枠から出て枠にはいる・・・か


本質に還ったとき
コーチングが必要な人なんているの?

本質に還させるほど
コーチは本質を生きているの?

自らが出来ないことをコーチするの?
共に成長とかいいだすのかな?

コーチも色々、
欲しい結果も色々、
手法も色々、
それは、わかるよ

ふ~、愚痴りたい気分だっただけです♪


仲良くしたい人とは
どうでもいい愚痴を
ただ言いながら

笑い合っていたい

そんな時間が心地いい

いちいち
アドバイスされたくないし
頭の中のマニュアルに当てはめられたくない

自分自身と向き合う事なんて
当たり前に自然に出来る
私たち

#求めていません
#そのアドバイス

そういうこと(笑笑




そんな、こんなで、週末は時間ができたので

素敵な想い出のある
この場所へ

ひとり歩きながら
"幸せ"が自分の中にあることを感じた週末