梅雨入りしたんですね〜雨


6月は平日休みが取りやすいので

梅雨前に海を見に行こうと思ってたんですよ


そんな計画しても当日の朝になると

不思議と海まで行く気力が全くありません


でも、よく考えてみたら

ソウルナンバー8らしい気もします


ただ海を眺める事にアドレナリンは出ませんからね

アドレナリンないと海を見にも行けないのですかね


ヨガ数秘・ソウルナンバー 


ならば・・・

ソウルナンバー3を誘い

3のエネルギーに便乗すれば行けると画策


が・・・ 

彼女の子供が発熱

保育園に預ける事が出来ないと連絡を受け

ひとりで行くか

と思った途端、心身の疲労を強く感じる


海を見る以外の目的を作らなくては

海を見れないという

ちょっと面倒くさいことになっている


もーっ!おーっ!


 和の香り

全て天然素材でつくる香の講座へ


精油と同じ素材からも得られる香りですが

漂う香りは違った雰囲気になります


歴史に疎いので知りもしなかったのですが
日本では戦国時代の武将達に
香木が大切に扱われていたのですね


なかでも徳川家康は健康への意識が高く
薬草を育て薬の調合をしたり
香木から練香の調合をしていたそうです


現在一般に売られているものは
天然と謳われていても材料や費用の関係から
全てが天然という訳にはいかないようです


以前入手出来た物も
ワシントン条約の規制対象となった物など
入手出来ない事情もあります


講座では天然と謳われた高価な香や
高僧の作った香などの香りも確かめました


本当に自然の香木の香りを知ると

真実かどうかが容易く分かります


お香は
甘(かん)
酸(さん)
辛(しん)
鹹(かん)
苦(く)
の五種類の構成と
火を着けた時の焦げ臭さにも
配慮する必要があるそうです


なので配合前に

火を付ける前の香り

火を付ける時の香り

火の熱により漂う香りを確かめます


今回は深く考慮はせず
8種類の香料を選びつくりました


香りの嗅ぎ分けは得意なのです
欲しい香りの構成に迷いはありませんキラキラ


最大の難関は線香の形にするところ


手作りなので一本一本容器から
絞り出すようにするのですが
かなり力のいる作業で
諦めてしまう人もいるそうです


私も3本位は頑張りましたが
この季節では
それだけで汗が流れる程です


理想的な硬さの練り状態だったので
そのまま仕上げたかったのですが
諦めて少し水分を足しました


それでも
思った長さまで絞り出す力が中々続かず
こんな感じになりました(笑)

形は残念な物が多いですが
焚いた香りは好みの仕上りで大満足です


作っている間も乾かしている間も

ずっと良い香りなのです


線香の講座から

少し日を空けて練香の講座へも


練香は戦国時代より前の奈良時代半ば

唐より漢方薬と共に香合術が伝来し

平安期の宮中では香りの出来栄えを競う

遊戯にもなっていたそうです


香り具合は

離れた部屋からほのかに香る

そんな香りが良いとされたとのこと


私はこの配合で練りました


見た目は色気もない丸薬状ですが
良い香りに仕上がりました
精油の香りも勿論好きですが

お香の方がシックリくる感じが強めです


精油の香りには

開放的な気分になる

華やかな気分になる

中には意識を別空間に移動させる感じなど

色々とありますが


お香の香りはどれも

スッと気持ち落ち着かせ

不要な何かを音もなく切り落とした空間に変える

そんな感じを私はもっています


精油の成分と香りと周波数
香木の成分と香りと周波数

不可視のエネルギーと戯れる


アロマ教室 Plage は

不可視の森の中と言われていますキラキラ


 立体神聖幾何学

綿棒でつくる立体神聖幾何学というのがあります

シード・オブ・ライフ(ベクトル平衡体)

マカバ(星型正八面体)など

この窓辺で埃を被っていたので

綺麗に作り直そうと黒色綿棒でつくってみたら

なんかカッコイイw


でも接合点が雑になってしまったので

作り直すつもり


この立体作りの捉え方は

人それぞれと思いますが

形霊といった捉え方をする人もいます


意識の持ち方で

体験することは変わってくるものです


作っているときの心持ちによっては
気付く事が色々出てきたりもします


美しく完成させるのも勿論良いのだけど

私は自分の意識の為に作るのです


作る度に何かしら

これまで気付かなかった理解を得えます


だからといって

初めから何かを得る為にしている訳ではありません


私の場合はマクラメ編みなどでも

コードが織り成す連続した形を見ていると
同じような感じで意識が飛びがち


綿棒の立体なら意識飛んでてもいいけど
編み目の数が飛んでしまうので困りもの


 体験を身体に落とし込む

これはトッチさんの本に載ってる写真

私にはここまでのものをつくったことはありません


何重にも重なった構造をみて
これが形霊と思えば
外側からは作れない
ということが腑に落ちたり


内側の小さな歪みが
外側へいくほど目立つ歪みとなる
ということが腑に落ちたり


自分の手で作らないと駄目だというのは
そういうこと


体験ってそういうものですよね


神聖幾何学図形はよく見かけるもので
パワーがあるなど言われていたけれど

トッチさんが立体にしたことで奥行きが現れた


見る位置により見える形が違う

点の数
辺の数
が違う


奥行きの出現により見えなかった数が見えてきた


真正面から向かったら
その奥行きも幅に吸収され在る隠れる


ずらせば奥行きがわかり隠れていたものが現れる



ヌーソロジーに出てくる方程式や図形を
最初は少々壁に感じていたけど
立体を作り立体感覚を得たら
奥行きと幅が腑に落ちたような気がします

もしかしたら
ヌーソロジーで出てくる方程式を
普通に理解出来る人は
既に立体感覚を得らているのかもしれません

と思ったらそうみたい


ふ〜ん、脳がちがうんだってうーん
なんにしろねー



ズラして


傾けて


現れた中心の点が球(9)になる


次元ポータルが現れるウインク

球体に追われた幼き日の経験も
何処かで役立つ事もあるのでしょうか(笑)


 四次元を知っている

”ワタシとはは何者なのか?どこにいるのか?”

どこで問を発し応えるかで

こういった精神的な話の解釈や理解は変わる


ハイヤーセルフの・・・

などは三次元の外側での真の自己の位置


よく耳する
”高い視点からしか見えないものがある”
という表現は今の位置から全体を見透せるのは

下層のレイヤーということだから


三次元から見透せるのは二次元


目に映る身の回りの景色の映像と
テレビの画面に映し出される二次元の映像が変わらない

ずっと奇妙な違和感を感じていた


そんな事とも関連するこの本は面白かったです


フラットランド 


半田さんの フラットランド の記事を見つけました


続けて natanさん の解説も見つけました


 真の自己の位置

真の自己が
三次元の観察される場(投影の場)にいなければ
三次元の何処に身を置こうが
他者の意見に振り回されたりしないはず

何故なら信念は真の自己のものだから


観察する自己に対して

観察される自己は投影の場にいる


観察する自己=真の自己という訳ではなく

双方で気付きが生まれ統合されれば

真の自己=観照者となるのだろうと思う

その観照者には何の裁きもないゆえ何の影響も受けない


投影の場に全て自己を投げ込んでいると

信念もそこにあることになる


そこは観察されるだけ


それでは周囲の影響を受けまり

それらに飲み込まれまいと
必死に抵抗の戦い続けることになる


幻想の世界で

戦いを作り出せるのは戦っている人だけだ


何かと勝ち負けを競い

何かより優れていると

認められたい

証明したいから戦いが必要なのでしょう


その戦いは大きな世界へ伝播する


戦いたいのなら

自己の認識と闘ったらいい

この三次元は味わう世界

感情を味わう世界
生きるを味わう世界

自己の意識を幻想に溺れさせる世界ではない


 認識を変える

観察する自己

対して

観察される自己


量子力学の観察者の意識が

物質に影響を与えるという

「観察者効果」


素粒子は

観察者がいないと物質として無くなり

観察者がいると現れる


これをスピ化させれば引き寄せの法則

観察者効果を利用し

意識すれば何もないところに

現象化させる事が出来るとするもの


引き寄せの法則が提供するものが

単なる欲望に見えてしまうのは

私の穿った見方のせいなのか・・・


観察者効果での無くなるというのは

立体を回転させれば

見えるも見えないも変化するように

位置や角度が変化した為に

単に物質としての観測が出来ないというだけで

エネルギーとしてそのままある

本当の意味での無いではない


なんにしろ

これまでの認識が変わらぬまま

その延長でしか物事を思考するなら

引き寄せの法則程度なのかもしれない


そんなんで満足なのかな


認識を変えれば見える世界が変わる


真実の理性の目覚めと

真実の男性性の立ち上げによって

これ迄の世界の認識を変えていく


男性性、女性性というワードを

よく耳にするようにはなったけど

誰の中にふたつがもあるとしながらも

性別の男性、女性に

癒着させすぎている人が多すぎなように

感じてしまう私がいる


ある傾向の女性は論調が同じ


”傷付き抑圧され満たされない女性性”

の原因は周囲の男性のせい

男性の望みに応じていたから

自分の望みは抑圧させられた


要約すると

そんな感じのストーリーパターン

男、女の部分を他のワードに置換可能なストーリー


そのストーリーには同調者が多く存在するから

共感からより強固にしてしまう


個人のストーリーを評価する気もないし

踏み込むつもりもない

単に同じストーリーだなという感想


ただ、たぶん、それ、

ストーリーに気付いただけでは出口じゃない


認識を変えないと本当の出口に辿り着かない

そのストーリーに登場する周囲の男性は結果

世界は結果

見ている世界は自分の結果


結果に働きかけても埓あかない

結果は既に過去


なのに結果に手を加えて

望む世界を見ようと試みる


有りがちな

相手が悪い相手を変えれば幸せになれるとか

その相手は人でなくてとも同じ

そんな感じのロジック思考を見せられる


仮に望む結果から逆算して

自分の思考を変えたとして

そもそもの望む結果を算出した時点の

自己の位置は望む結果が得られなかった地点

その位置での自己が想定出来る範囲での望み


だから、ずっと、ずっと、おなじ箱の中


核が違えば解釈も理解も表現も全てが違ってしまう

ひとりひとりの核が変わらなければ世界は変わらない


この動画は

有料フルバージョンの一部が無料公開されているもの


ヌーソロジーで見いだそうとしていることが

理解しやすいのではないかと思うのです










同じ言葉を読んでも以前とは理解が違う
言葉から見える景色がちがう

言葉に酔うだけでは世界は変わりはしない

次元ポータルに入ってから見てみよう音譜

 数を見出す

数秘から数字を意識する事が増えた最近


数秘の数字

立体の数値

ヌーソロジーの数

どれも数なのだけど


私にとっては

数の意味を扱う数秘は箱の中でのこと


箱の中と外で数は違うものになる

立体とヌーソロジーから見えだした外の数値


宇宙はツインシステム機構

全てに反転した真逆の対が存在している


それが見えていない


その両方を意識の視界に浮上させる


次元間ポータルを越えて


その次元ポータルは

誰の内側にあるのだから


と言うと


精神論にも聞こえてしまうかもしれないけど

立体を体感し意識の位置を変えたら

精神論ではなくなる


これは精神論が劣っているという意味ではなく

それのみでは

気分の高揚など一時的なものとなりがち

だということ


気分の高揚だけの場合いつしかその終わりがくる


次の高揚を味わえるものを何処かで求めてしまう


文章や映像、人の話どれも同じこと


聞いて頭の中の理解や気分の高揚のみではなく

身体の体感も伴わせなくてはならない


ポータルはそこだから


ヌーソロジーも立体も

内側へと向けて開かせていくもの


それぞれの気付きと共に・・・


※一部に誤解なきように念の為貼っておく
ツインシステムはそういうことじゃない※


ツインシステムを考えてたら

こんな記事に目がとまる


こんな

ミラーワールド へ連れ去れられる人は

マトリックスの機械に繋がれた人みたい


既に世界はかなりデジタル化
デジタルの世界で評価がなければ
人としてもビジネスとしても成り立たないような風潮

自分軸が大切と言葉では聞くけど
他者軸の方が重要となってる世界ということか

デジタルの中の世界しか視界にないなら
ただ静かに飲み込まれていくだけ

そんな気がする


 宇宙は数値

立体
ヌーソロジー
日月神示
白川伯家神道
カタカムナ

共通する数を見つけるのが面白いのです

(立体化するのは当然)

ほかにも
なんとなく繋がりの部分を見つけてみたり

日月神示の〇と✔

オコツトの言う球が点

オコツトの太陽がチカラを失うこと

宇宙の羅針盤の物語に出てくる緑の太陽、踊る点


カタカムナのカミは
西洋宗教の神とは異なるし

拝み奉るカミではない


ひふみ祝詞も経のように唱えるものでもなく
宿る数値の周波数に意味があるのだろうとか


神道の言霊を言葉と混同しては駄目なんだ

言霊はロゴスだ

音として宇宙に発生する前の周波数

発する言葉に宣る周波数が違えば意味なし


そんな事をブツブツといいながら点と点を繋ぐ


そんなまま寝てしまうから

夢の中でも点と点を繋いでいる

そして時に

何かが猛烈に分かった感じになるのだけど

目覚めると何だったのか分からなくなる


 表現する全てはアート

そんな夢から目覚める朝は

かなりの疲労感な時もある


頭ばかり働かせても疲れてしまう


とはいえ

暇な時間があり過ぎると点繋ぎを始めてしまうから

身体を使って何かをする時間が大切なのです


料理したり(エモいVEGAN純喫茶メニュー@iina


アクセサリーつくったり(@M.B.wire factory 


頭空っぽにして絵を描いたり(@artbar )

見ためも美しい食事を楽しんだり

雨の日や仕事の合間の気分転換にマクラメ編み
スマホしか入らないミニバッグが量産されるゲラゲラ

他にも
ラドン浴、ゼロ磁場体験
周波数を共鳴させたり
ソマチッド実験したり
こんな面白い遊びにも大忙しキラキラ

 身体のケア

4月に
ひまし油チネイザンのワークショップに
参加してから腹のマッサージがルーティン化しつつある


時間が取れない日は
なんだかスッキリしない感じ

今回はYukiさんに
刮痧のワークショップ 開催をお願い


初の刮痧体験

首肩はかなり赤くなり
毒素と言われる痧がいっぱい
腕、脚は赤くなるものの30分程度で赤みは引きました

顔も同じく赤味は早く引きました
首肩のような状態にはならず良かったです

顔の顎下辺りのたるみなどは
内蔵のたるみともリンクしているそうです

姿勢を正したり運動しても変わらない
たるみなら内蔵ケアを試してみるのもいいですよね

刮痧で顔の反射区から内蔵ケア
お腹はチネイザンという組合せがいい感じなのです

注意点は刮痧は肌を擦るため
毎日では刺激が強すぎるとのこと
一回の時間も10分〜20分以内を守ること

刮痧後の首肩周りは
憑物が取れたかのような開放感ですが
それらが排泄されるには少々時間がかかります

ごく個人的な体感ですが
老廃物の流れていく先に
詰まりがあると浮腫みが戻ってくる感じになる

特に顔に関しては
刮痧だけではなく
口腔内から行う筋膜リリースでも
同様になるので
私のように首肩の凝りが酷い場合
そこで詰まるから
本当にスッキリするまで2日位かかった

やっぱり
全身の巡りが良くないとだめですよね

 ヨガ数秘

受講しようかと思っていた
ヨガ数秘学の
”ヘルス&ウェルネスナンバー”
は既にキャンセル待ちになってた


世がこんな時だから
講座タイトルが殊更興味ひきますよね


まあ、いいのです


ヨガ数秘はズーム会で

お話を聞いてるだけで満足なのです


そのYUKOさんのズーム会
5月は動物のヨガ数秘でした


動物の場合は
チャートの年齢域は気にせず
チャート全体を眺めたときに
複数あるナンバー
レッスンナンバー
目に付くは数字
そこに着目してリーディングする感じです


誕生日の分からない保護動物などには
その動物のおおよその年齢と
辿ってきた出来事と
数字の意味から推測して誕生日を設定します


私は

既に飼い猫の誕生日の数秘チャートを見て
雌の猫への接し方を変えています

この猫の場合はチャートを見たときにと
”レッスン・ナンバー”が気になりました


3なのですが3らしくない猫


子供の数字だから
もっと無邪気に遊んだり
甘えたりしても良いのに控えめ


本来の姿ではない感じがしていました


チャートを見て、やはり、
そこがレッスンなのかと改めて思い
声をかけたり構ってあげる時間を増やす
単独で遊んであげる時間を増やす
などを心掛けたところ


自ら
遊んでほしい
撫でてほしい
と欲求を示すようになりました


普通は動物と言葉は交わせないから
こういったアプローチも良いなと思いました


こちらは、くっつき魔の雄猫
レッスン8
煩すぎるからと無視すると体調崩すソウル6
今では変化した雌猫とで私を奪い合い

動物ってことに関して

ふと思い出しました


動物と心通わせる人

そうではない人


がいるのです


動物と共に暮らしているからといって
必ずしも心通わせている訳ではないんですよね


心通わす人は

動物に限らず何にでもそうなるのだと思います


心通わせないからって
動物嫌いと言う訳でもない

冷たい人と言う訳でもない


動物との線引が明確というのか・・・

階級めいたものがあるというのか・・・
区別があるといったらいいのか・・・

命というものに対して対等さがない感じかな


可愛いと思う事と心通わせる事は違うのですよね

動物は本能でそれを感じるのでしょうね


リブラさんのブログ記事に出てくる
ブーバーと馬」の関係がそれに近いように思います


世の中には自分を演出する為に

ペットを飼う人もいたり

最期まで面倒を見ることが無い人もいたり
逆に入れ込み過ぎて家庭崩壊させる人いたり


様々ですね

人間て・・・