孔明先生一筋34年★
【武侯墓公認】
孔明先生の回し者
文魂(あやだま)創作家の
今日はこんな漢字
当/當
富ではなく當
堂ではなく當です
剪字は金文です。
上:横棒と点
→ 「帳(まく)」や
覆いの象徴(祭礼の幕)
中央:三角形や菱形
→ 神を迎える「器」
あるいは「尚」の象徴(音)
下:台座のような形
→ 儀式を行う「台地」や
「神を祀る場所」
「當」はもともと
農耕儀礼で神を迎える
神聖な場面から
生まれた字で
そこから転じて
「ふさわしい」
「あてはまる」
といった
現代的な意味に
なっていったそうです。
ってのを踏まえて
もう一度
当/當
でした!
孔明先生亡き後、
孔明先生を畏れながら
愛しまくっていた
蜀の人々(領民)は
孔明先生を祀る廟
(今でいう武侯祠)を
成都に建立して欲しいと
願い出ました。
が!秩序の乱れや
孔明先生の遺言を考慮し
朝廷は民衆の声を却下!!
そこで領民たちは
「民間でできることは民間で」
という発想のもと
自分達の土地や田畑
山野などに
許可なく勝手に
孔明先生を祀りました。
この時の成都はきっと
至る所、武侯祠状態
だったと思われます。
それくらい、
民衆に慕われていた
孔明先生。
それくらい民衆のために
自身の全てを尽くされていた
孔明先生。
早い話が!
蜀の領民と孔明先生は
水魚の交わりだったのです!
古代漢字「水x魚」
「このままでは別方向に
秩序が乱れて民心が離れてしまう」
ってことで263年。
蜀漢王朝による
武侯祠(孔明先生を祀る祠)が
かつて、孔明先生が北伐時に
丞相府を置いた場所
今の漢中市勉県に建立されました。
今でも健在です!!!
この武侯祠と
孔明先生の永眠地・武侯墓は
どちらも勉県にあります。
武侯祠の近くには
馬超殿のお墓もあるので
三国志、
特に蜀ファンにとっては
当に聖地!!
ってことで
ご覧のブログは
自分の部屋に孔明先生を
密かに祀っている
孔明先生の回し者@玄子(げんし)が
お届けしました〜!
今日も遊びに来てくれて
ありがとうございました〜
他の人には見られない
ラインからのコメントは
こちらから
引き続きイイかんじに
お過ごしくだされ〜
【武侯墓公認】孔明先生の回し者@玄子(げんし)
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