あの日、あの時、あのタイミングで孔明先生に出会っていなければ
今日、生きていなかった可能性爆大な玄子(げんし)の奇縁物語。
中学を卒業しても、孔明先生への尊敬愛を卒業することはなかった。
中学を生きて卒業した私は「修学旅行先が中国」
という動機だけで受験した高校に入学。
中学は山形県だったので生まれ故郷である秋田県の高校に県外受験しました。
入学した高校は、
私を中国に行かせるために
存在していたんじゃないかと思えるほど、
様々な条件が合致していた。
私が高校を卒業して数年後に修学旅行先は変わり、
さらにその数年後、母校は閉校したので
私が入学するのを待っていたのだろうとさえ思う、太々しさ。
イジメられていたからと言って、
その後の人生に対して卑屈になる必要はない。
犯罪を犯したわけではないのだから。
耐えた分だけ、正々堂々、遠慮なく、
生きた甲斐のある人生を十割増で送るだけである。
イジメもトキメキもないまま、
真面目な高校生活一年目は無難に過ぎたが、
二年に進級する直前、人生を変える大事件が起こった。
何があったのかといえば、修学旅行があったのだ。
↑今は亡き母校なので校名を公開しました〜。
実際に中国へ行くまでは、机上の空論どころか、
机上の空想止まりで、
日常生活の延長の中に中国を想像していた。
三国志跡はあれど、
現代の中国と三国志をどこかで分離させていた気もする。
だが、遣隋使や遣唐使に倣って
船で三日間の航路を経て中国大陸へ上陸し、
地平線を目の当たりにした瞬間、それは起きた。
それは、人生、一度きりの
「電光石火の一目惚れ」だった。
自分のそれまでが、健気に命を繋いできたその日までの全てが、
一粒の砂と化して、宇宙の果てまでぶっ飛んだ瞬間だった。
「この雄大な大地を相手に孔明先生はー」
地平線越しに伝わってくる、
三国志の国に於ける、
孔明先生の存在と偉大さを前に、
言語を司どる左脳が反応するよりも早く、魂が跪いた。
「私、この国で生活する」
それは、予言でも啓示でもなく、
根拠のない予定の確信だった。
「今日まで生きていて、本当に良かった!」
大地に柔らかい春雨が降り注いで苗を育てるように、
私の命と人生が認められ、祝福された瞬間だった。
どんなに辛いことがあっても、
生きていて良かったと思える瞬間があるからこそ、
感動があるからこそ、
私は生きようと思えるのだと、
生きているのだと、
私なりの生きる意味を悟った。
そしてそれから二年半後・・・
1997年9月。
私は孔明先生が天下三分の計を実現させたように
蜀漢王朝の都である四川省成都市にある四川大学の門を潜った。
孔明先生への尊敬愛だけを武器に。
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人生を変えるほどの一目惚れの相手が・・・
まさか中国の地平線になろうとは
人生において一目惚れする機会って
限られていると思いますが
私は、この時に全て使い果たしたので
その後の人生に於いて
微塵も作用せず
もし、三国志を識らず
孔明先生への尊敬愛がなければ
地平線を見ても何も変わらなかったので
時空や国境をこえた
人生の縁って面白いですね
そんな奇縁に満ちた人生、
楽しんで生きたいですね!