奇人変人レベルで孔明先生を尊敬愛する

諸葛孔明先生ファンクラブ日本代表・玄子(げんし)です。

 

成都での留学を終えて一度帰国してから

「私、やっぱり中国が大好きだわ」と気付き

2005年から江蘇省に仕官していました。

三国志で言ったら、呉です。

 

成都留学の話はよく出てくるのに

この時の話があまり出てこないのは・・・

 

危うく中国が大嫌いになりそうな日々だったから!

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学生ではなく、働いているから

留学時代と違って嫌なとこが見えるのは当然でしょ?

ではなく!

 

留学生には、

留学生にしか分からない

大変さがあるので


そもそも、留学で来ている人と

ビジネスで来ている人を

一緒の土俵で考えること自体

思いっきり違います。

 

イヤな思い的には

好きで留学した学生時代の方が大変でした。

 

色々あっても

頼れるのは自分だけで何から何まで

自分の身は自分で守らないといけないので。

 

それでも成都には愛と夢、

そして三国志があったのです\(^^)/

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中国へのイメージ基盤を作る留学先が

成都で本当によかったです。

 

そんな私にとっての呉の仕官先は

上海から2時間弱の江蘇省にある昆山ってところの

さらに郊外にある開発区にありました。

 

開発区だから文化要素マイナス120で

高速道路の粉塵を拝する場所にあったので

 

中国文化が好きな私にとっては

窒息死しそうな日々でした。

 

それでも、三国志の国と言い聞かせ

なんとか頑張って一年目を終え、

幸い転職が決まったものの

「私、この後も中国で大丈夫なのか?」

って不安になったので

心の声を確かめるべく

夏休みに成都へ里帰りしましたニコニコ

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この時は幸い、恩師や友人、道士さんといった

私の人生最盛期を支えてくれた人たち全員に

奇跡的に会うことができて

 

「やっぱ中国最高〜!照れこれだよ、これ!」

古代中国文化の香る都市じゃないと私はダメだ!!と実感しながら復活。

 

転職先は、昆山と同じ江蘇省にある

鎮江ってとこでした。

黒酢で有名なところです。

 

が!!

 

ここはなんと!!!黒酢どころではない!

三国志の時代、

孫権さんが一時、都を置いていた

京口だと言うではありませぬかぁあ!

故に!!

 

太史慈殿と魯粛殿のお墓

甘露寺があったり

周瑜殿が通った凱旋門とか

 

孫夫人が玄徳公崩御の訃報を受けて

身投げした場所↓とか

そりゃもう、色々・・・

待っていました!!

 

孫呉文化ぁあ\( ˆoˆ )/だったのです。

 

職種は昆山と同じでしたが

時間や業務内容的には

昆山よりかなり大変・・・

 

だったけど

 

三国志文化があるだけで

そこはもう、

パラダイス(((o(*゚▽゚*)o)))♡ウッキャ〜

 

疲れた時は甘露寺から長江を眺めるだけで

充電できる特典付き。

気分は・・・個人的な都合により孫策殿爆  笑

 

なので私の場合は

中国では、何がなんでも

三国志とセットにならないと

チーン死にかけるもようです。

 

蜀大好きだけど、

魏も呉も好き〜ってスタンスなので

「浮気者」呼ばわりされたこともありましたが爆  笑笑

 

中国で実際に生活するとなると

三国に大好きな英雄たちが分散されていて

スッゴォく助けられました。

 

ちなみに鎮江は

食べ物がとっても、とっても美味しいです。

 

四川料理はそれなりに修行して

辛さに挑んで戦うイメージですが

(初期は全敗覚悟で辛口デビューしちゃってください照れ

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一方、鎮江の料理は、

戦ったり、

修行を積んだりしなくても

日本人のままで←

「うわ、おいし〜!ラブキューン」って思えます。

 

そしてそして鎮江は

何よりも、いい人が多すぎるんです!

(前職場とはここが大違いでした笑い泣き

 

柔らかい雰囲気の優しい人が多く

日本語を話せる人の割合がすっごく高かったので

ちょっと台湾に似ているかなって感じます。

 

当時は繁体字の看板や建物が意外と多くあったし

(今はわからないけど)

 

私、鎮江が好きだ〜〜〜!!って

毎日、長江に向かって告白していましたラブ

 

が!そんな楽しく美味しい鎮江での生活は

長く続かなかったのですガーン

 

成都に続く第二の心の故郷に

出会えたかと思いきや!!!

 

玄子(げんし)の身に何かあったのか劇場泣くうさぎ

次回へ続きます( ̄∀ ̄)