諸葛孔明先生を人生の師と仰いで私淑(ししゅく)している諸葛丞相.comの玄子(げんし)です。

 

諸葛丞相に対して、好きという感情は不遜にあたります

って言われた(気がした)のは十五の時でした。

 

羅貫中の描いた「三國演義」ベースの作品から始まった孔明先生への想い。

それまでは、好きっチューラブラブて気持ちが前のめりでした。

 

 

他にも爆笑三国志とか、

 

 

 

 

史書と合わせて彼らの存在を身近に感じる中学生活を過ごしていました。

 

そんなある日、難しそうだったけど

「三国志」ってだけで無条件に買った本がありました。

 

 

この本の他の内容は全部ぶっ飛んで残っていないのですが(−_−;)

 

この本の一文が私の孔明先生への感情を大きく変えたと言っても過言ではありませんでした。

 

その一文とは

 

史書三国志で陳寿が書いた

諸葛丞相は、畏れながら愛されていました

って一文でした。

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原文は

 

咸畏而愛之

 

古代漢語@メモ

 

咸:皆

畏:敬畏(尊敬して畏れる、畏敬する),敬服

愛:愛重(敬愛する)、敬重(尊敬する、敬い重んじる)

 

 

この陳寿の一文を読んだときに

「嗚呼、孔明先生ってそういう次元のお方なんだ!!」

って思い知り、

 

次の瞬間には、

孔明先生に対して

好きって淡い感情を抱いていた自分が

個人レベルの小さな枠で孔明先生を見ている気がして、

恥ずかしくなりました。

 

そしてこの時から私は、孔明先生を人生の師として尊敬愛するようになったのです。

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不思議なことに孔明先生への尊敬愛は

好きって言葉や感情よりも深く、しっくりと細胞レベルまで

私の心に沁み入りました。

 

成都へ行ってからも、蜀の地で感じたのは

「かっこいいから、頭がいいから好きラブラブ

って人は皆無で

(今でこそ三国志ブームな感じですが、

当時はミーハーな人はおらず

地元愛に満ちた感じの三国志愛が強かった気がします)

 

「我らが蜀を今でも守ってくださる、偉大な丞相さま。

今の時代に丞相さまがいらっしゃったら・・・」

孔明先生は神として崇められ、

崇拝されているような存在でした。

 

そんな蜀の生の風に触れ

陳寿の言葉は今でも現在進行形なんだと痛感しました。

 

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ってことで!

孔明先生を人生の師とすることで

時空を超えて孔明先生と人生を共にしている玄子(げんし)がお届け!!

 

 

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今日も最後までお付き合いいただき有り難うございました!

 

諸葛流文霊想作家・玄子(げんし)

 

*文霊(あやだま)とは?
時代、時空、国境を越えて読む人の心を動かす力を持っている文字には霊(魂、精神)が宿っているという概念から生まれた玄子の造語です。

 

孔明先生に興味、好意、敬意のある人とのご縁に感謝ラブラブ