諸葛孔明先生に私淑して30年目の玄子(げんし)です。
明後日、6月4日は旧暦の4月24日。
玄徳公が孔明先生に後事を託して天に還った日です。
なので明後日に孔明先生の文霊
請宣大行皇帝遺詔表を全文お届けすべく、ただいま蒸し暑さと戦いながら文霊を紐解いています
予めお伝えしておきますが、受験勉強にも中国語の試験にも、中国語の日常会話にも、一切役に立ちません!!
それでもいい!望むところでござる!!って方のみ、お付き合いくださいませ〜。
では、いきます!
タイトルになっている大行皇帝とは、玄徳公のこと。
古代漢語@メモ_φ( ̄ー ̄ )
大行:元々は行って戻らない、という意味。
行ったきり還らぬ人となったのです、的な感じです。
なぜ態々そんな言い方をするのかといえば
皇帝が亡くなった、死去したという直接的な言葉を避けるため敢えて還らぬ人となった、と比喩的に使っているそうです。
また漢の時代以降(から、いつまでかは知らんでござる。知りたければ各自どうぞ)
崩御して、まだ棺が埋葬されていない状態の旅立たれたばかりの帝を大行皇帝と呼んでいたそうです。
孔明先生がこのに遺詔を公にした時点で、玄徳公は崩御していたけれど、まだ棺は永安宮にあって埋葬されていない状態。
なので、この時点では出師表のように「先帝」ではなく「大行皇帝」なのです。
ちなみに、、、
4月24日に玄徳公崩御。
5月に玄徳公の棺は護られながら成都に涙のご帰還。
この時に「昭烈皇帝」と諡されています。
そして8月に埋葬されました、とのこと。
以上の日程報告は史書「三国志」より陳寿の証言でお送りいたしました。
・・・( ̄∀ ̄)・・・ありゃ?
タイトルの説明だけでもうこんな字数!!
読み切り三国志な漢語。
本日は、ここまで!m(_ _)m
明日は、やっと内容に入りますが、書き下し文的な訳ではなく
当時の状況を踏まえて、敢えての解釈をしているので
引き続き、試験勉強や中国語の参考にはしないでくださいませ。
今日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
ご覧のブログは天下第一流の諸葛孔明先生を人生の師と仰いでいる諸葛丞相.comの諸葛流文霊(あやだま)想作家・玄子(げんし)がお伝えしています!
*文霊(あやだま)とは?
時代、時空、国境を越えて読む人の心を動かす力を持っている文字には霊(魂、精神)が宿っているという概念から生まれた玄子の造語です。