孔明先生が大好きすぎて気付いたら30年経っていた玄子(げんし)です
30年もの間、年中無休で情熱が尽きないのは私淑しているから。
*私淑とは
直接、教えを受けることはできない尊敬する人を師と仰いで、その学問や人格に学ぶこと(By孟子)です。
成都へ留学している時は、古琴とか道士さんとの交流とか、三国志跡放浪の旅とか、楽しめること、体験できることが埋伏の計だったので行動力と勇気があればいつでも、どこでも三国志。
八卦の陣に迷い込むが如く、やること、なすこと、どんなに上手くいかなくても、辛酸を舐めさせられても、三国志の学びにつながる特典付き。だからこそ頑張れました。
私淑が本格的に必要となったのは、日本に帰ってから。
史跡もいけないし、リアルな文化交流もできない。
三国志の揚げ足取り、正しさ追及の議論は思いっきり専門外。
・・・やばいでござる
このままでは、机上の三国志になってしまう!
留学が終わったら、それで終わるような三国志愛になってしまう!
そんなの・・・
──い─ヽ(;▽;)ノ──や──
ってことで、留学時以来、二度目となる武侯墓へ。
武侯墓って私にとっては聖地中の聖地。
畏れ多すぎて行けなかったのですが、それって言い訳。
聖地へ行って、前回の感動が薄れたり、それまで自分を支えていた勝手な思い込みが無に帰したら、、、って気持ちが強かったのだと思います。
それでも、人生の最期は武侯墓で過ごすのは第一希望なので、勇気を出して孔明先生に謁見!
そこで、孔明先生の文霊(あやだま)と衝撃の出会い、ありにけり。
ってことで。
私が日本にいながら、留学時代以上に孔明先生への尊敬愛が限界破裂状態な内訳は
孔明先生の文霊を想作することで私淑しているから
歴史上の人物への尊敬愛が限界破裂しそうだけど、このままじゃ、いっ時のマイブームで終わってしまう
そんなの・・・
──い─ヽ(;▽;)ノ──や──
って方に伝えたい
孔明先生の文霊
慕先賢
===
直接、教えを受けることはできない敬慕する先賢を師と仰いで、その学問や人格に学ぶ、、、
私淑生活、始めませんか???
尊敬の念、敬慕する想いが強ければ強いほど、時空を超える城門は楽しく開かれていきます
今日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
ご覧のブログは諸葛孔明先生に魂ドカン!
孔明先生を人生の師と仰いでいる諸葛丞相.comの諸葛流文霊(あやだま)想作家・玄子(げんし)がお伝えしています!
*文霊(あやだま)とは?
時代、時空、国境を越えて読む人の心を動かす力を持っている文字には霊(魂、精神)が宿っているという概念から生まれた玄子の造語です。