孔明先生の文霊(あやだま)
一国の客将に甘んじていた玄徳公(左)が天下三分の計を実現できたのは、二十才も年下で無名だった孔明先生(右)に三顧の礼を尽くしたから。
晩年、孔明先生は「誠意を尽くされた三顧の礼に甚く感激し、この方のためならと覚悟を決めて出廬しました」と当時の想いを振り返っています。
二十才も年下の、経験も実績もない若者に三顧の礼を尽くしたことで玄徳公の人徳が天下に広まったのは言わずもがな。
親子ほど歳の離れた相手に誠意と敬意をもって接するってそれくらい、すっごいことなのです。
年賀状、大陸放浪中




って思ったので、三国志の師匠と、茶葉店の女社長さんにwechatでごめんなさいm(_ _)m
すると、師匠は
「コロナの影響で遅れているんだと思うよ〜。玄子(xuanzi)の気持ちはしっかり届いているからご安心くだされ〜。年賀状を送ってくれたその気持ちが嬉しい、ありがとう」
と言うではありませんか!
茶葉の先生に至っては
「遠く離れているのに気にかけてくれる、その気持ちがどれだけ嬉しいか!幸せすぎる〜ありがとう!!!」と。
ただただ、感激
気持ちを汲んでくれる人って、なかなか出会えないので彼らの言葉に心が熱くなりました。
私が年下だからと言って軽視することも威圧することもない。
相手を思いやって気持ちを大事にしてくれる、、、得難きご縁。
本来であればお二人とは出会う時間はなかったのですが、飛行機の遅延により出会えた不思議なご縁。
そして、それもこれも、感謝の源泉を辿れば孔明先生のおかげ!
身分や肩書き、年齢といった可視化できるものよりも、謙虚に心や気持ちといった目に見えないものを大事にできる人間でありたいですね。
ご覧のブログは諸葛孔明先生を人生の師と仰ぐ諸葛丞相.comの文霊(あやだま)想作家・玄子(げんし)がお伝えしました〜!
*文霊(あやだま)とは?
時代、時空、国境を越えて読む人の心を動かす力を持っている文字には霊(魂、精神)が宿っているという概念から生まれた玄子の造語です