三国志が起源!?立夏の風習 | 【諸葛孔明先生】って知ってる?

【諸葛孔明先生】って知ってる?

孔明先生一筋34年の玄子(げんし)が「古代漢字✖︎剪字」で現代に甦らせる!孔明先生の文魂(あやだま)を受け取ってください!

五月人形ならぬ、5月ウサギもいいよね?

image

三国志作家の玄子(げんし)です。

 

日本では、「柱の傷は一昨年の5月5日の背くらべ」って童謡があるように身長を測る、、、もんなんでしょうか?


ネットで調べると、別に風習とかあるわけじゃないって書かれていましたが、三国志文化を紐解いたら、やっぱり関係あるんじゃないの?って出来事があったのです!

 

時は、、、三国志の時代。

(三国時代って書くと関羽様や曹操閣下は既にいないし、後漢末期だとあまりにも漠然としているので三国志の英雄たちが活躍した時代ってことで、三国志の時代って書き方をしています)

 

今回のお話は中国の民話伝説から引用しますが、そのままだと、どう考えても歴史的に合わない。


その話の流れは有り得ない、無理すんなよって内容だったので、私なりに三国志の話の流れと時代の流れに合わせて編集させていただきました。

image

玄徳殿は孫権の妹、孫夫人と再婚しました。


孫夫人は男勝りな性格の割に、面倒見のいい姉御肌でもあったので、玄徳殿と前妻(数年前の戦で死去)の間に生まれていた嫡男の阿斗のことも大事に育ててあげていました。

 

が!時は戦乱!!!

家族団欒は長くは続かなかったのです。

玄徳殿が出陣した隙を狙って孫権が妹を取り返そうとしたのです。

しかも、阿斗つきで!


いくら「おバカの代名詞・阿斗」と後世の中日辞典に書かれているとはいえ、そんなこと当時は誰も知りません。

 

孫夫人には「母親がいないと坊やも悲しむだろうから一緒においでよ」とかなんとか言いながら、早い話が玄徳殿の嫡男を人質に取れたら、荊州を明け渡してもらえるかも、とかそう言う乱世の発想でした。

 

が!結果的に阿斗は呉へ行く直前、趙雲殿に救われます。


「この子が呉へ行けば、玄徳様の命も危うくなるのです」

穏やかに説得され孫夫人も泣く泣く可愛い(かった)阿斗を趙雲殿に託しました。

 

阿斗が趙雲殿に命を助けられたのはこれで二度目。

いつの間にか子守担当にされているでござる。

 

で!この時に孫夫人は言いました。

「今日は立夏です!ならばせめて、毎年元気に育っているか知りたいから、立夏に体重を測るというのはどうでしょうか?」と。

 

はいこれ!ここです、これ!立夏に体重測定!

趙雲殿は、良いですね、と孫夫人の提案に従い、毎年立夏に阿斗の体重を測ってどれだけ大きくなったかを知らせることにしました。

 

こんな風に測ったそうです。

こうして中国では立夏に体重を測るようになったと言われています。

 

ってのを踏まえれば!


日本で子供の身長を測るってのは童謡だけではなく、平安時代とかそれくらいに中国から立夏に体重を測る風習が伝わって、日本では柱を使って毎年の成長っぷりと健康を祈るようになったのです。


って方が腑に落ちる気が。

 

子供の頃は体重が増えると「大きくなった」って喜んでいたのに、、、いつからでしょう?

体重が増えると悲鳴を上げたくなるのはゲッソリ心は絶叫!!

 

ってことで!中国の立夏に体重を測る風習と三国志文化、楽しんで頂けたでしょうか?

 

立夏になったせいか、一気に暑くなりました。

私は暑くなると、けっこう、無理です真顔

 

熱中症にも気をつけてお過ごしくだされ〜!

 

立夏に三国志なご縁をありがとうございました!

 

玄子(げんし)