三国志作家の玄子(げんし)です。
今日は父方の祖母の命日でした。って事に、暫く気づかず。
去年、法要で秋田へ帰った時に撮影した菜の花ロード↑の写真を見て思い出しました
愛猫や愛ウサ
の月命日さえ忘れることはないのに、、、。
↑絶世のめんちょこ姫・心愛(ここあ)
この違いは何なのかと言えば、生前の関わり。
ってことで、三国志も同じぃいえ?もう?
孔明先生は玄徳殿亡き後、蜀と劉禅(玄徳殿の御子息)の未来を一任されます。
で。誰がどう見ても孔明先生が劉禅を補佐せずに、蜀の帝になった方が絶対に良かったと思います。
玄徳殿も「補佐するの難しい(と思う、あれは)と判断したら、迷わずに君が皇帝になってくれ」と本音を託したほど。
自分の息子はもちろん可愛いけど、それだけでは国は治められない。
こんな風に、帝がのほほ〜んと出来る時代ならまだしも!
時は戦乱なので、戦も政治もままならない劉禅が国を牛耳っていては蜀の民は幸せにはなれません。
ってことを、熟知していた玄徳殿。
他の臣下にも、劉禅自身にも「何かあったら丞相に」と遺言したのでした。
せっかく玄徳殿ご自身も遺言してくれたんだし、帝になっちゃいましょうよ!丞相!!と諸将のみならず、多くの後世の人間も現実的にそう思いました。
が!!!!孔明先生は言いました。
「私はまだ、知己への恩義に報いていない」と。
知己とは自分のことをよく解ってくれる人のことです。
孔明先生にとっての知己とは、いうまでもなく玄徳殿。
玄徳殿が生前、孔明先生の知己であったからこそ、後継者がどうであれ
士為知己者死
(士は己を知る者のために死す)
自分を理解し、真価を認めてくれた人のためには命を投げ出してでも応えるものだ!
という信念のもと、玄徳殿に対する忠義心を貫いたのです。
いくら世の中や、格言ではそう言われているといっても、本当に命を懸けてまでも知己の恩に応えたい!と自発的に心底思えなければ、
「名言は迷言。今の時代、そんなんじゃ生きていけないよ」で終わることも。
戦乱のイメージが強い三国志ですが、すっごく熱いのです!!!
命懸けだからこそ、一度巻き込まれると魂まで情熱が伝播してしまう。
そして、縁と価値観が合えば三国志の英雄が自分にとっての人生の師、知己になるという時空を超えた特典付き!!!
これが三国志最大の魅力かもしれません。
戦乱、歴史物、なんか難しそうってイメージを払拭してこの機会に三国志の世界へ足を踏み入れてみては如何でしょうか?
三国志への城門は縁さえあればいつでも開かれます♪
今日も三国志のご縁をありがとうございました!
玄子(げんし)