三国志作家の玄子(げんし)です。
三国演義原文のタイトルに沿ってとりあえず三国演義を楽しむ「とりあえず三国演義」
第七回【袁紹磐河戰公孫 孫堅跨江擊劉表】の5
江東の虎、孫堅殿は長男の孫策殿と共に荊州の劉表を攻めました。
初陣とは思えない孫策殿の活躍で、劉表軍の黄祖を生け捕ります。
が!!!
勢いに乗った孫堅殿の士気を旗が折りました。
孫堅殿の旗で将帥を意味する「帥」と書かれた旗が折れたのです。
↑旗のイメージ画像・拝借いたしました。
「縁起が悪いから夜襲はやめましょう!」と諫言されても
「旗が折れたくらいでなんだ!旗に根性がなかっただけだ!」
孫堅殿は聞く耳持たず、夜襲を仕掛けましたー
あの時もし、孫堅殿が旗の予言を聞いていたら、、、
せっかく玉璽を手に入れたり、旗が危険を予言してくれたりと天に愛される器だったのに、、、
長男の初陣と成長を目の当たりにしながら、、、
帰らぬ人となってしまったのです。
孫策殿は生け捕りにしていた黄祖の身柄と引き換えに孫堅殿の遺体を引き取りました。
ちなみに、陳寿「三国志」では孫策殿はこの戦にはまだ参加しておらず、孫堅殿の甥・孫賁さんが棺を守って故郷へ送り届けた、とあります。
無言の帰宅を果たした孫堅殿は、孫策殿によって静かに埋葬されました。
この時、孫策殿はまだ17歳。
孫堅殿は享年37歳でした。
17歳の孫策殿が喪主を務めた孫堅殿の永眠地は「高陵」と呼ばれています。
その後の中国での色々なことに負けず、今もあります。健在です!
なので、昔日、私が呉国へ仕官した時にお参りしてきました。
小高い山がお墓になっていました。
私が行った当時は、田舎の山と畑の中って感じのところにあったので、色々な暴風雨があっても簡単には破壊されない立地条件でした。
こうして孫堅殿がいなくなってしまい、悲しみにくれる江東と当ブログ。
テンション、だだ下がり中です
孫堅殿と劉表との戦いの詳細は「三国演義」をご覧ください。
三国演義はまだ始まったばかりですが、孫家の未来は暗雲に包まれてしまいました。
が!そんな状況を喜ぶ奴がいました!
誰かといえば、こいつ!!
全ての元凶・董卓!
反乱軍として同盟を組んでいた諸侯が次々と争い、勝手に滅亡していくのが、まぁ楽しい!
「董卓さまに逆らった報いじゃ〜〜〜」
董卓、ますます調子に乗って絶好調!!!!
この兇漢に加え、呂布と李儒。
諸侯はちっちゃい恨みに翻弄されて頼りになりません!
この状況を打破できる英雄は、、、残念ながらいませんでした。
が!!!
この後、天下の英雄豪傑がどんなに頑張ってもできない偉業をたった一人の女性が!?
ついに、あの女性がお出ましです!!!
続きを知っていても、知らなくても!
次回をお楽しみに〜!