三国志作家の玄子(げんし)です。
三国演義原文のタイトルに沿ってとりあえず三国演義を楽しむ「とりあえず三国演義」
第七回【袁紹磐河戰公孫 孫堅跨江擊劉表】の2
袁紹と公孫瓚の戦いが始まりました。
とりあえず矛を交えるまえに、公孫瓚が状況説明を求めると袁紹は言いました。
「だってさぁ〜、韓馥が無能だから僕ちんに冀州を譲っただけだもん♪僕ちん、悪くないもん!ってことで冀州を治める件は、君には関係のない話だよ」
坊ちゃん、自分から冀州を二人で分けようって言っときながら手の平返しです。
怒った公孫瓚も黙っちゃいません。
「忠義の人と思えばこそ、昔日(虎牢関の戦いで)みんなで盟主に推したのに、その本性は狼心狗行じゃないか!」
狼の心に
犬の行い?
残忍非道な行い、恩知らずって意味だそうです。
今でも中国語では狼心狗肺って「行」を「肺」にプチ整形し、残忍非道な心って意味で使われています。
それを聞いた袁紹、図星!って顔を引きつらせますが、公孫瓚は続けます。
「どの面下げて世間様に顔向けできるんだ!盟主の面目も何もあったもんじゃない!」と。
これは、効いた!
世間、面目ー
名門だけが取り柄の坊ちゃんに痛烈な一撃が入りましたが、公孫瓚がいなくなっちゃえばこっちのもん。
正当化なんて後から参謀がいい感じに考えてくれます。
「え〜い!黙らせろ!!!」
坊ちゃんは袁紹軍を代表する豪傑、文醜に公孫瓚を討ち取るよう命じました。
文醜って簡体字では文丑。
丑って、、、すっごい簡略化されっぷりです。
丑年の丑ですよね、これ。
「猪突猛進とはいうが、丑になるとは![]()
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笑える!」
と、今だったら公孫瓚も言ったかもしれませんが、この当時は簡体字じゃなかったので文醜に悪態をつく間も無く、公孫瓚は逃げました。
そしたら、文醜は追ってきました。どこまでも。
公孫瓚軍の陣営に逃げても、公孫瓚だけ目掛けてまっしぐら!
「まだ追いかけてくるのぉお〜〜〜![]()
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」
行く手を阻む公孫瓚軍の将兵をバッサバッサとなぎ倒し、どこまでも追いかけてきます。
どこまでも追いかけられるのって、怖いですよね。
文醜の簡体字が丑ってことで牛。
それはまるで闘牛士を追いかける闘牛のような血相でした。
やがて公孫瓚は野を超え山超え、行き止まり!ってとこまで追い詰められてしまいました。
文醜、執念半端ない!けど君命に従うってきっと、こういうこと。
何が何でも、任務を遂行するまでどこまでもやるのです。
三国時代に生まれても戦場には行きたくわないわ。留守番してい隊派。
とか思っているうちに、公孫瓚の馬がついに根を上げてしまいました
もう、無理
「覚悟しろ!!!!」
そしてついに文醜の矛先が公孫瓚に!!!
嗚呼、絶体絶命!!!!!
って時でした!!!
「な、何やつ!!!」
刀がいとも簡単に弾かれました。
文醜が刀を握り直しながら謎の邪魔者に名前を聞くと、その人は名乗りました。
「それがしはー」
出た〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
来た〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
見た目も生き方も三国志でトップクラスに入るカッコよさ!
Ziloooooooooooooooooooooooong!
趙雲、字を子龍と申す!
Zilooooooooooooooooooooooooong!
趙雲って簡体字では赵云って書くのですが!
カードをご覧あれ!!なんと!!!!繁体字!!!特別扱い!?
この子龍殿、一体何者!?
気になったよね?なら、次回もよろしくです!![]()







