42長年の親友かと思ったら○○○だった!(゚Д゚) | 一日一剪★諸葛孔明先生の文霊(あやだま)x古代漢字/孔明先生を尊敬愛し過ぎて今日まで生きている玄子

一日一剪★諸葛孔明先生の文霊(あやだま)x古代漢字/孔明先生を尊敬愛し過ぎて今日まで生きている玄子

今日はどんなかんじ?6000年の歴史を持つ10万字の中から孔明先生に選ばれた漢字とは?情熱と志に生きる「熱志者(ねっしんじゃー)」なあなたを応援してくれる一文字を文霊想作家・玄子(げんし)が古代漢字で剪字ます。

諸葛丞相に私淑(ししゅく)している

文霊(あやだま)想作家の玄子(げんし)です。

 

孔明先生との時空を超えた

奇跡の絆物語は

孔明先生への信(中国語で手紙)と題して

1〜孔明先生が人生の師になるまで〜

から始まり、最新話

41〜一人で行動するのは恥ずかしい?〜

まで、私の人生に起きた実話をお届けしています。

目次の一覧は、こちら です。

 

◆◇◆◇◆42◇◆◇◆◇

 

旧暦の8月23日なのか28日なのか

羅貫中と諸葛村の主張の隔たり

この5日間に何があったのか知りたいですが

 

孔明先生が天に還ったのは

五丈原!!!

 

「五丈原と赤壁に行くまでは

死んでも死に切れん!!!

留学中に絶対に行く!行け!行かねば!」っていう

密命を帯びていた私は

 

1998年に五丈原へ行きました。

単独行動万歳スタイルが確立されていた私にとって

漢中以来、半年ぶり二度目の一人旅でした。

 

で!漢中の一人旅や

五丈原そのものの内容に関しては

拙著*三國志游學記に譲ります。

 

ここから先は拙著を読んでいる前提で

書かなかった裏話を進めますね〜。

 

で。事件が起こったのはその後。

五丈原からなんとか、駅に戻ってから

気力も体力もギリギリだったのに!!

 

三国志の時間、世界を堪能した

私を待っていたのは

現代中国での学びでした。

 

その学びの舞台は

五丈原から数キロ離れた最寄り駅

蔡家坡って駅でした。

 

拙著にあるように疲れすぎて

ギリギリだった私は

駅のベンチに座っていたのですが

 

この時に日本と中国違うな〜って思ったのは

 

全然知らない赤の他人

初対面の人同士でも

まるで昔からの知り合いのように

すっごい親しげに談笑をするってことでした。

 

事の発端は、

それまで隣で話し込んでいた

叔父さんの一人が急に私に話を振ってきてあせる

少しは話せるようになっていた中国語を

駆使していると、

 

叔父さんの友達が席を立ったので

「おっちゃんの友達、行っちゃったよ」と

日本人的な?気遣いを見せたら

 

「いや、あれ友達じゃないし。

ただの隣に座った人」

 

これは、衝撃でしたね〜。

 

すっごい爆笑しながら話し込んでいて

友達か兄弟?って思うくらい長々と

楽しそうにしていたのに

 

初対面の知らない人!?Σ(・ω・ノ)ノ!

 

この感覚は未だに分からないわ〜ってことはなく

今では私もよくやります、この手のどうでもいい談笑。

 

その場限りの会話を楽しむってのも

ある意味、一期一会で、

ありかな〜なんて今は思います爆笑

 

が!その境地に至るまで色々遭ったんです。

 

この時のおっさんは、蘇州の人で

「孫策の墓は蘇州にある」と教えてくれました。

 

これ、数年後に周瑜殿関連史跡で撮った孫策殿墓の写真。

何が何だか解らないけど、これが関の山にござる。

※でも、ホテルか何かを建てるときに

わざわざお墓を壊してそこに建てたんですよね、、、。

罰当たりな、、、パンチ!故人への敬意ってもんはないのか?

あんなに広大な土地があったらそんなことしなくても

いんじゃないの?ってすっごく思います。

 

そんな感じで、日常的な会話をしていたら

「どこまで行くの?」と訊かれたので

「成都」と答えたら

「切符を買うの大変だから、

おっちゃんが買ってきてあげるよ」とのこと。

 

この時は体力が限りなくゼロに近かったので

「お願いします」と成都までの切符購入を

おっちゃんに託したのですがー

 

思いがけない展開に!!!

玄子の身に何が起きた!?

 

気になったら次回

43勝って兜の緒を締めよ、疲れたら○○の○○を締めよ!

も宜しくです!