諸葛丞相に私淑(ししゅく)している
文霊(あやだま)想作家の玄子(げんし)です。
孔明先生との時空を超えた
奇跡の絆物語は
孔明先生への信(中国語で手紙)と題して
から始まり、最新話
まで、私の人生に起きた実話をお届けしています。
目次の一覧は、こちら です。
◆◇◆◇32◆◇◆◇◆◇
三国志が好きで成都に留学した私は
日々、奇怪呼ばわりされていましたが
だからこそ、
恩師の存在が大きかった、と
言えるかもしれません。
レベルは全然全然それはもう
天地ほども違うけど
孔明先生も「変なやつ」・・・そう!!
奇怪あるね、あなた
扱い、呼ばわりをされていていました。
勉県の街中に描かれていた孔明先生↑
そんな孔明先生を理解、支持していたのが
元直殿と崔州平さん・・・それに加え
それ以上に、人生を変えて
歴史を変えるほど誰よりも理解してくれたのは
孔明先生が『知己』と公言した玄德公
↑成都の三義廟(武侯祠の敷地内)玄德殿。
私自身、普通とか、平凡呼ばわりされるより
変な人〜変わっているね〜って
呼ばれるのが嬉しいって感じていた時期もあったけど
「この人は!」って思う人が
解ってくれるからこそ、
それまでの奇怪呼ばわりが
花を添えてくれるのかもしれません。
恩師以外で、私を奇怪呼ばわりせず
解ってくれる人たちに出会うまで
3年間、やっぱり奇怪呼ばわりされ続けました。
中国の人に言われるのは
慣れてきましたが
北京に留学していて
成都に遊びに来た見ず知らずの
日本人留学生にも
「え?そんなことのために?」と笑われる始末(^_^;
なので返礼として
「北京を留学先に選んだ目的はなんですか?」と
聴いたら
「え?理由!?そんなのあるの?
首都だからに決まっているでしょ」といわれ
私にとっては、その理由の方が驚きの極み。
それだけで留学できるってすごいなって思います。
それに比べたら・・・
そりゃ、私は奇怪だよねって納得。
そんなこんなで、留学した副作用として
日本の方々とも話が合わなくなっていきました。
私自身、とくに最初の頃は
日々なんとか中国語を駆使して生きるのが精一杯。
授業で中国語(標準語)を学んでも
外に出ると四川弁の嵐だから全然通じなくて
そんな人たちに中国語をダメ出しされる日々。
凹むわ〜って状態でしたが
そんな私の元に届く高校時代の友人の手紙は
「留学生だったら、
かっこいい人、いろんな国の人いるでしょ?
誰か紹介してよ」
・・・( ̄ー ̄;・・・
彼女の中で留学っていうと、
毎日キラキラ、バラ色の生活って
イメージでもあったのかもしれませんが
私にとっては日々是戦いあるね!
「今日もなんとか生き抜いた」って感じでした。
そんな不器用でボロボロな時からずっと
私を支えてくれたのは
孔明先生の知己・玄德公でした!!!
玄德公への想いは
に続きます。