学ぶ側の在り方次第 | 【諸葛孔明先生】って知ってる?

【諸葛孔明先生】って知ってる?

孔明先生一筋34年★【武侯墓公認】孔明先生の回し者・玄子(げんし)が「古代漢字✖︎剪字」で現代に甦らせる!孔明先生の文魂(あやだま)

私淑は気持ちから!

諸葛孔明先生専属の文霊(あやだま)想作家・玄子(げんし)です。

 

私淑(ししゅく)とは
尊敬する人から
直接には教えを受けることが
できないが、その人を
密かに敬慕し師と仰いで
その学問や人格に学ぶこと です!

 

先日、お食事処でランチをした時に

お店の方に

「口に合いましたか?」と聞かれたので

「すっごぉおおく美味しかったです」と

正直に答えたら

 

「それは、お客さんの心が優しいからですよ。

美味しい、と思って食べてくれるから美味しいんですよ」

と笑顔で言われ、心も満腹也。

 

ここのレストランは

計算度外視で

「ほっと」交流して欲しい空間を

提供したいとのことで

 

安くてしかも、美味しい、

さらに量も、しっかりあるので

老若男女問わず人気のお店なのです。

 

そしてやっぱり私淑も同じ!真顔キラキラ

 

三国志の英雄たちの生き方に

魂が触発されて私淑する人は

自然と、彼らの生き方に学んでいます。

 

同じ三國志を読んでも

私淑する人と、批判する人の違いは

心の向き合い方の違い。

 

学ぼうって姿勢で自主的に積極的に

学ばない限り

自分なりの学びは得られません。

 

そして当然ながら

私淑する相手によって

一流とか二流ってありません!

 

「それに学ぶのは三流だよ」って言う人は

三流レベルの学びしか出来なかっただけです!

 

同じ歴史上の人物でも、

どこまで深く学べるかは

学ぶ側の在り方次第によって変わります。

 

私淑している師匠が

他の人から見たら一流だろうが、なかろうが

そんなもん、知ったこっちゃありません!

関係ありません。

 

他の人の私淑レベルに合わせることなく

自分だけの学びを

自分の人生に合わせて見出してくださいね!