こんばんは、玄子です。
諸葛一家は
故郷の山東省を出た後、南下し
諸葛玄さんが豫章の太守になりましたが
滞在期間僅か1年で
追い出される羽目に![]()
あ、でも!諸葛玄さんは悪くないんです。
主君命令で豫章の太守になっただけなので。
それなのに、いざって時には世間は冷たいですよね。
「太守になって豫章を護ってくれ!」って
辞令を出した張本人は知らんぷり![]()
この命令を出したのは
誰なのか、というのが
陳寿『三國志』と
作者不明『献帝春秋』で異なります。
そして、豫章を追い出された諸葛一家は
諸葛玄さんの古巣ともいえる荊州へ。
ネットで調べたら
豫章から荊州まで、
660キロほどあるそうです。
当然、後漢時代は道路事情も
現代ほど良くないし車もない上に
何と言っても乱世だったので
その道程はただ単に遠いってだけではなく
いつ、命を奪われるか解らない
心身ともに過酷な日々であったことは
想像に難くありません。
そんなこんなで、
やっとの思いで辿り着いた荊州―
ここで孔明先生の運命と
中国の歴史は大きく動いていくのでした!
荊州で孔明先生を待っていたものとは?
気になったら次回にまた!
ブログ読み切り諸葛丞相傳
本日はここまでm(_ _)m
ご覧頂きありがとうございました!
