【諸葛丞相傳】豫章から荊州へ | 【諸葛孔明先生】って知ってる?

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孔明先生一筋34年★【武侯墓公認】孔明先生の回し者・玄子(げんし)が「古代漢字✖︎剪字」で現代に甦らせる!孔明先生の文魂(あやだま)

こんばんは、玄子です。

 

諸葛一家は

故郷の山東省を出た後、南下し

諸葛玄さんが豫章の太守になりましたが

滞在期間僅か1年で

追い出される羽目にえーん

 

あ、でも!諸葛玄さんは悪くないんです。

主君命令で豫章の太守になっただけなので。

 

それなのに、いざって時には世間は冷たいですよね。

「太守になって豫章を護ってくれ!」って

辞令を出した張本人は知らんぷりガーン

 

この命令を出したのは

誰なのか、というのが

陳寿『三國志』と

作者不明『献帝春秋』で異なります。

 

そして、豫章を追い出された諸葛一家は

諸葛玄さんの古巣ともいえる荊州へ。

 

ネットで調べたら

豫章から荊州まで、

660キロほどあるそうです。

 

当然、後漢時代は道路事情も

現代ほど良くないし車もない上に

何と言っても乱世だったので

 

その道程はただ単に遠いってだけではなく

いつ、命を奪われるか解らない

心身ともに過酷な日々であったことは

想像に難くありません。

 

そんなこんなで、

やっとの思いで辿り着いた荊州―

ここで孔明先生の運命と

中国の歴史は大きく動いていくのでした!

 

荊州で孔明先生を待っていたものとは?

気になったら次回にまた!

 

ブログ読み切り諸葛丞相傳

本日はここまでm(_ _)m

 

ご覧頂きありがとうございました!