諸葛孔明先生専属の文霊創作家・玄子です。
『読書百遍義自ずから見(あらわ)る』って
故事ことわざが『三国志』出典であるのですが
大体の意味としては
どんなに難しい書物であっても、
繰り返し読むうちに
意味が自然とわかるようになるものだということ。
とは言え、
「暗記するまで読みなさい」と言われ
闇雲に暗記させられた古典の文章って
暗唱出来たら、それだけでOKって感じだったので
有名だから暗記したけど、
そこに籠められた義を語れ、と言われても
( ̄Д ̄;;暗記したところで
難しいものは難しい。
暗記と理解は
担当部署が異なりまする。
と言った感じでした。
このことからも
ただ単に暗記するまで何遍も読めば
義が自ずから見(あらわ)れてくるわけではないんだと実感。
なので、読書百遍義自ずから見るって
言葉の意味は理解出来ても
実際には、義が自ら見れることなんて
あるのかなぁと思っていました。
そんな私が
孔明先生著『心書』を紐解いた時
1800年もの時空を超えた文霊に
来た━━見た━(゚∀゚)━━書いた━!!!
って衝撃を義として与えられました。
数えたわけではないけど
孔明先生の文霊は百篇近く(或いはそれ以上)していますが
百篇読みたい、気付いたら読んでいたって書物は
自然と義が見(あらわれ)るってことを身を以て知りました。
難しい文章でも
ただ何度も読み流すだけではなく
自分なりに考えながら読むことで
読めば読むほど義が見れるので
個人的な結論としては
読書百遍義自ずから見る
っていうのは本当でした(o^-')b
読書、していますか?